岡本一平の父:岡本晋太郎
岡本一平の父を調べてみようと思い、岡本一平関係の本を調べたが一寸ここで躓つまづいてしまった。
一般的には岡本一平の父は「岡本竹二郎」と名乗り、「可亭」と号した書家であると云われている。
この岡本竹二郎は安政4年12月9日、津藩(伊勢藤堂藩)の儒学者岡本安五郎の次男として生まれた。
幼い時、藩政改革により父岡本安五郎が藩の儒学教職を解かれ苦労の連続であったが、幾多の変遷を経て北海道函館に来て教師として採用され、まさ(正)と結婚し長男「岡本一平」が誕生し、その後、東京に出て書家として生きた。
彼の書の号は「可亭」でペンネーム(著者名)「竹二郎」の著作本は数多くある。
大正8(1919)年秋10月10日、癌で苦しみながら63歳で逝去した。
だがどう言う訳か、竹二郎の本名を「良信」とする記述が少なからず見受けられる。
しかしこれは間違いで、岡本一平の父「竹二郎」の本名は「晋太郎」である。
何故、本名を間違えたのかと云うと、同じ「可亭」と号する人が明治時代に居た。
その人の名は「羽倉可亭」である。
この羽倉可亭の本名が「良信」であった。
羽倉可亭は寛政11年(1799年)生まれで、明治20(1887)年8月12日に死去した。
彼は江戸後期から明治初期に活躍し、若くして村瀬栲亭について経学と書を学び、僧月峯に画と篆刻の教えを受けて、後に岡本豊彦に画を学んだ書画家・篆刻家である。
時を前後して書で活躍し、同じく「可亭」と号した為に「羽倉可亭」と「岡本可亭」とを混同し、「岡本可亭」の本名を「良信」とする過ちを冒してしまったのである。
「羽倉可亭」の本名は「良信」で、「岡本竹二郎・可亭」の本名は「晋太郎」である。
この岡本一平の父の名は岡本一平の著書「泣き虫寺の夜話」の33頁に「― おやぢは自分の本名の晋太郎の晋の字と眞卿の卿を取つて晋卿と號した ―」とあり、息子「岡本一平」が父の本名は「晋太郎」だと記述しているので間違いは無かろうと思う。