「ビルマの竪琴」の批判(本文)

ビルマの竪琴 竹山道雄著 中央公論社版 (コピー禁止)
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ビルマの竪琴 竹山道雄著 中央公論社版 挿絵(コピー禁止)
ビルマの竪琴 竹山道雄著 中央公論社版 挿絵(コピー禁止)

「ビルマの竪琴」の批判(本文)

 第一話「うたう部隊」
 第二話「青い鸚哥(インコ)」
 第三和「僧の手紙」

 竹山道雄 著 中央公論社 (昭和二十八年十二月二十日 発行・限定版)

「ビルマの竪琴」の批判されている箇所(本文抜粋)

第一話「うたう部隊」

「2」より
そばによってみると、おかしなことには、水島はルーンジをしていないので、その代りに大きなバナナの葉を腰に巻いています。それが後につきだして、まるで鳥の尻尾のようです。どうしたのだ、といってわけをきくと、こうでした。
――水島がここまでくると、わき道からおそろしげなビルマ人が出てきて、ピストルをつきつけました。これは強盗でした。日本兵が武器をすてて行ったので、それを使って、強盗が方々に出るようになったのです。しかし、ビルマ人はほとんど裸で、身につけているものはルーンジのほかにないのですから、奪(と)るものといってもそれだけです。そうして、この強盗も、水島にルーンジをぬいでゆけといいました。(20頁より)(中略)
ところで、奇妙なことには、こうした強盗はバナナの葉をたくさんかかえているのです。ビルマ人はルーンジの下には猿股も何もしていません。ルーンジをとりあげただけでは不体裁でもあり、きのどくでもあるというので、強盗の方で代りに腰にまとうものを用意していて、それを渡してくれるのです。そのいう言葉もおだやかです。ピストルをつきつけて、「おまえのルーンジとこのバナナの葉をとりかえてくれ」というのです。(21頁より)

第二話「青い鸚哥」

「3」より
ビルマは宗教国です。男は若いころにはかならず一度は僧侶になって修行します。(72頁より)
前の人がいいました。――「ビルマ人が未開かね?われわれの方がよっぽど野蛮じゃないか、と思うことがよくあるのだが」
「これはおどろいた。こんなになにもかも不潔で不便で、学問や労働によってひとり立ちになろうという意志もない国民よりも、われわれの方が野蛮なのか?」(75頁より)

「8」より
(お婆さんの水島上等兵の話)
「あのお坊さんはな、みなさん、ほんまにありがたいお方や。そこらにいくらも歩いているお坊さんやない。とおとい身分のあるお方や。ビルマの国中のどこへ行ってどんなお寺に入っても、いつも上に座って、御供物をうける人や。よほど子供のときから一生懸命に修行しなはったやろうな!それというのは、あの方は腕に腕環(うでわ)をはめているが、これは、ビルマでは特別なお坊様のもつもので、これさえあればどこへ行ってもお師匠さま格や。錫の板にお経の文句がほってあって、それを糸でくくって腕はめる。これは学問があるか、徳の高いか、また何か大きな手柄のあったお坊様ばかりがもっているもので、これを見ると、ほかの坊様は下にさがって頭をさげるのや。(後略)」(131~132頁より)

「10」より
(収容所で歌をうたっていると柵のむこうで)
人々が左右に分かれたところに見ると――、あのビルマ僧がきらきら光る青い鸚哥(インコ)を両肩に一羽ずつのせて、立っていました。(155頁より)(中略)
われわれは躊躇しました。もし別人だったら、ビルマ人が尊崇している僧侶に対して無礼になることは、あたりの人々に対しても遠慮されます。(158頁より)(中略)
一同は小声で相談しました。そうして、あの水島がすきだった「埴生の宿」の合唱をはじめました。(158頁より)(中略)
ビルマ僧はほとんど無感覚のような、また威厳にみちた樣子で、しずかに立ちつづけていました。われわれはいく節もうったて、しまいに、この国でこの曲をうたうのも最後と、声をたかめました。(158頁より)
そのときに、ビルマ僧はにわかにがっくりと首をたれました。そうして、衣の裾をつかんで足を早めて、立っている人垣のうしろに行き、木の陰に休んでいた少年の竪琴をとりあげました。そうして、元のところにもどってきて、竪琴を肩にたかくもちあげました。
それから、彼は水島の作曲した、、あの「埴生の宿」の伴奏をはげしくかき馴らしました。
このビルマ僧はやっぱり水島上等兵だったのです!(159頁より)(中略)
しかし、水島は外の柵のむこうに立ったまま、動きませんでした。しばらくだまってうつむいていました。それから、また竪琴を肩にして、弾きだしました。
それは、ゆるやかなさみしい曲でした。(160頁より)

第三話「僧の手紙」

「4」より
気がついてみると、私は手あつい介抱をうけていました。(192頁より)(中略)
介抱してくれていたのは野蛮人でした。
今でもビルマの山の中には、いく種類かの蛮族がいます。中には人食いや首狩りをするものまでいます。(192頁より)(中略)
爺さんは私の首を指でつまんで、それを押したりはなしたりしながら、いいました。
「もうこのくらい太ったら、食いでは十分あるだろう」
「何ですか――?」
「この部落民が一切れずつ食べても、全部の者にいきわたるだろう」
「何ですか――? この私を食べるのですか?」(198頁より)(中略)
爺さんにこの種族の名をきくと、カチン族だといいました。カチン族といえばきいたことがあります。これは二十四万人もいる種族で、お尻のあいだに長方形の木の板をはさみ、山を下るときにはそれを使って滑り落ちるので飛ぶようにはやい。
かれらは首狩りをして、人間の肉を食う。捕虜をつかまえると、それを焚火のそばにねかせて汗をながさせ、まんじゅうのような食物にその汗をしみこませて食べる。そして、そのあとで人間も料理する。(198~199頁より)(中略)
酋長の娘は心から名残りをおしんでくれました。彼女は私にビルマ僧の服装をさせました。こうすればどこへ行ってもまず困ることはないから、というのでした。そうして一つの腕環をはめてくれました。これは錫の板でつくったもので、お経の文句がほってあります。これはただ記念にくれたものだろうと思っていましたが、実はかなり位のある坊さんのもつもので、これをもっているお蔭で、私はこの後しばらくどれだけ便宜をえたか分かりませんでした。(210頁より)(中略)

「7」より
私はビルマ僧になりました。シッタン河のほとりで埋葬をすませたあとで、その村のお寺に入って、正式の僧侶にしてもらいました。そうして、すこしずつは勉強もし、修行もつづけております。酋長の娘がくれた腕環はお寺におさめましたが、その後、私が方々で埋葬してあるくのが奇特であるというので、別の腕環をもらいました。(242頁より)(中略)

このビルマの国の人々はたしかに怠惰であり、遊びずきで、なげやりではありますけれども、みな快活で謙譲で幸福です。(245頁より)(中略)

この国の人々のように無気力でともすると酔生夢死するということになっては、それだけではよくないことは明かです。(245~246頁より)(後述略)