
映画「ビルマの竪琴」1956 ①
(映画パンフレットより)
空前のスケールで描く崇高な人類愛!
全世界の良心に訴える大日活の文芸巨篇
終戦前夜のビルマ戦線、人物は兵士たち、
然も、これは戦争映画ではない!
物語(映画パンフレットより)
一九四五年七月、戦局は不利となり、日本軍はそれぞれビルマの山を越え、タイ国へ逃れようとしていた・・・・・・。
その中に毎日の行軍に疲れながらも、ビルマの竪琴に似た手製の楽器に合せて、「荒城の月」を合唱している部隊があった。
水島上等兵はこの竪琴の名人であった。ビルマ人によく似た彼は赤と黄の派手な模樣のルーンジを着て、斥候の役を果し、竪琴の音を合図に部隊を無事に進めていた。
この井上小隊は水島の竪琴で何度その危険から救われたことか・・・・・。
彼等はやっとのことで、タイの国境に近づいたとき、山の部落で意外な歓待を受けた。
国境を目前に控え、床もあり天井もある家で休める喜びも束の間、部隊はイギリス兵達に囲まれていた。兵隊達の間にサッと緊迫した空気が流れた。この危険も水島の気転と竪琴によって無事に救われたが、彼のかき鳴らす竪琴の「埴生の宿」に何時しかイギリス兵達も合唱し始めていた・・・・・・この時、彼等は既に停戦になっていたことを知った。
捕虜収容所に入った彼等はムドンに移されたが、水島はたゞ一人、三角山に立てこもる日本軍に降伏の説得に向かった。水島の努力の甲斐もなく、再び戦斗(せんとう・戦闘)にまみ込まれた彼は轟音とともに気を失ってしまった。
一方、ムドンについた井上小隊は水島の帰りを首を長くして待っていた。収容所に出入する物売りの婆さんに手をつくして水島を探してもらったが、何の情報も入って来なかった。
ふさぎこんでいる兵隊達を激励する隊長は自ら指揮棒を振って合唱を始めた。
しかし、兵隊達は「水島の竪琴がなくては・・・・・・」とすぐに歌を止めてしまうのだった。
ある日、作業を終えた小隊は橋の途中で青いオームを肩にした一人のビルマ僧とすれ違った。兵隊達はその僧侶を見てびっくりした。中背のしまった体格、凹んだ大きな眼、ひきしまった唇が水島そっくりだったからだ。
彼等は口々に「水島!」と叫んだが、その僧侶はビックと恐ろしそうに身をすくめると静かに目を伏せて足早に行ってしまった。何時までも帰らない水島、詳しいことを一つも知ることの出来ない水島の死を彼等は信じるほかはなかった・・・・・・。
しかし、水島は生きていた・・・・・。あの戦斗の后、通りがかりの僧侶に助けられた彼は、僧侶のスキを見て僧衣と腕輪を盗んでムドンへと急いだ。
途中、水島は荒涼たる山峡に数限りない日本兵の白骨化した死骸を見つけた。
死骸を焼き、霊を葬う水島。森に河に積みあげられた腐爛した日本兵の死体の山に彼は両手で顔を覆うのだった。
ムドンに着いた水島は収容所の前に感慨をこめて立ちつくした。
翌朝、水島は図らずも墓地で「日本兵無名戦士の墓」に花環を供え、胸に十字を切り、黙祷を捧げるイギリス人達の姿を見た。
彼の頭には、方々で目撃した日本兵の死骸が次々に浮かんで来た・・・・・。静かに顔をあげた水島の面には何か決意の色が漲っていた。
収容所と反対の道を歩き出した水島は橋の上で井上小隊の兵隊達に出会ったのである。彼は思わず「あヽ、やっぱり自分はみなと一緒に帰るわけにはいかない」と呟くのだった。
シッタン河で死体を埋葬する水島はそこで赤い大きなルビーを拾った。イギリス軍戦没勇士の慰霊祭に列席した井上小隊の兵隊達はまたそこで白い布に包んだ四角い箱を首から吊し、両手で捧げているあの水島に似た僧侶を見たのである。
物売り婆さんからあの僧侶の肩に止まっていたオームの弟という青いオームを買った隊長は何故か「おーい、水島、一緒に日本に帰ろう」という言葉を教え込むのだった。
水島の肩の上のオームも何時しか彼の独り言を覚えてしまっていた。
隊長は納骨堂で水島の持っていた白い木箱を見た瞬間、あの僧侶が水島であることを確信した。大きな仏陀の臥像横たわる森の中、兵隊達は合唱を始めた。
森に谺する歌声に目をさました水島はたまらなくなって、半ば壊れている竪琴を持つと夢中で弾き出した。竪琴の音に気づいた彼等は口々に「水島だ!」と叫びながら仏像に走り寄った。しかし、水島からは返事もなく、仕事始めの合図に彼等は仏像から離れなければならなかった。
遂に彼等に帰還命令が出た・・・・・・。三日後にはムドンを去る彼等は、水島の帰還を願い、柵に向かって合唱を続けるのだった。別れに来た物売り婆さんに隊長は弟オームをあの僧侶に渡してくれるように頼んだ。
出発の前日、歌い疲れ、水島の帰りを半ばあきらめた彼等の前に例の僧侶が姿を現した。
彼の肩には二羽のオームが止まっていた。兵隊達は嗄れた声で、「埴生の宿」を歌い始めた。じっと動かず聞いていたビルマ僧は急にがっくりうなだれると、竪琴を肩に高く持ち上げて弾き出した。
やはり、あの僧侶が水島だったのだ。兵隊達は歓声をあげて水島を呼んだ。
黙ってうなだれていた水島はやがて竪琴をかかえ直すと「仰げば尊し」を弾き始めた・・・・・。水島は弾き終わると、彼等に向かって深く頭を下げ、さっと衣を翻して駈け去って行った。
出発の日、物売り婆さんが再びオームを持って現れた。青いオームは高い歌うような声で、「ア、ヤッパリ、ジブンハカエルワケニハイカナイ」と繰り返すのだった。そして、婆さんは水島からの手紙を置いて行った。輸送船の甲板の一隅に集まった彼等は隊長の読む水島からの手紙に耳を傾けていた・・・・・。
それは、あまりにも悲しい、あまりにも悲壮な水島の決意を物語っていた。
山河に眠る幾十万の若き同胞の今は亡き霊の安息の場所を造るため、水島はビルマに残る決心をしたのである。
静かな甲板には、はたはたと手紙を鳴らす海風の音と、「ア、ヤッパリ、ジブンハカエルワケニハイカナイ」と叫ぶオームの声だけが続いていた・・・・・・。
【斥候】せっこう
敵情や地形などをひそかに探ること。また,そのためにさしむける小人数の兵。