
弟子丸泰仙と巨泉の対談
外国人に受けた「禅は坐禅なり」
ゲスト:ヨーロッパに10万人の禅の弟子を持つ弟子丸泰仙
“巨泉の真言勝負”より
え・中川恵司
(参考 弟子丸泰仙:詳しくは“弟子丸泰仙”参照のこと。)
弟子丸泰仙 いかがですか。(タバコの箱を出す)
巨泉 「禅」ですね。この間パリへいったら、タバコ屋に並んでました。
弟子丸泰仙 これを吸うと悟りが得られるように、何か薬が入れてあるんだろう、なんて言いおったけれども、そうじゃない。まじめなタバコだ。どうぞ。
巨泉 僕はタバコを止めましたから。
弟子丸泰仙 私と反対ですな。私がのまなかったのが、向こうへいったら、先生、どうぞ、必ず出される。断って、いかにも戒律に縛られてるように思われても困る。仲よくなるためにね、飲みよるうちにだんだん・・・・・。一人で暮らしとるから、寂しいということもないんですが・・・・・。
巨泉 お嬢さんが行かれたんでしょう。
弟子丸泰仙 そう、後からね、お父さん何やってるか心配して、月給を貯めてね、二年半ばかり前に来たんです。私が行ったのは一九六七年、ちょうど五年前の七月七日、横浜港から船で行ったんです。娘がしきりに「お父さん、帰ってくるのオ?」って言ってましたよ。
巨泉 飛行機じゃなくて?
弟子丸泰仙 横浜からナホトカまで船、それから汽車に乗ってね、ハバロフスク、イルクーツク、モスクワ。
モスクワへ行ったら、清田という、日本語放送をやっとる男がおる。私のホテルへ来てね、今までいろんな日本人が来て会ったけれども、先生に会って初めて本当の日本人に会ったような気がします、と言ってね、色々歓迎してくれたんです。
巨泉 それじゃ、パリまで一ヶ月ぐらいかかったでしょうね。
弟子丸泰仙 そう、かかったな。
巨泉 しかし飛行機でスーと飛んじゃうより、よろしかったでしょう。奥さんやお嬢さんは賛成したんですか。
弟子丸泰仙 いやあ、賛成しなかったけれども、家族をふり切ったんですよ。西行法師が家族と別れたのと同じ格好ですな。
巨泉 べつにお寺はもってなかったんですね。
弟子丸泰仙 私は十八の時、人生至高の幸福は坊主になることだ、まっしぐらに進もうと思ってね。鶴見の総持寺へ行ったんですよ。そしたら、澤木興道和尚が職業坊主になるのはつまらんぞ、禅はすべての生活体験の中にあるんだ、現在の生活のまま坐禅だけ一生懸命やれ・・・・・。
処女地へタネまきに
巨泉 偉い人ですね。
弟子丸泰仙 大した和尚でね、1965年、おれが死んだら、おまえはどうする?。今こそ坊主にしてやろうって、そこで初めて得度したんです。
巨泉 ヨーロッパで伝道しようと思った理由は、どういうことですか。
弟子丸泰仙 それを説明しようとすると、長く話さなくちゃいかんけれども、いろいろな事情があったんですな。直接の動機は、寺はなし、日本の仏教に失望しとった。日本の社会にも失望しとったが、ダメですよ、日本の仏教界は。
巨泉 外国へ行って商売で成功してる友達の話を聞くと、日本では体制が出来上がってしまって、排他的になって、自由な行動が出来ない。そこへいくと、まだ外国のほうが自由である、ということなんですけれども、宗教でもそうですか。
弟子丸泰仙 そういう理由もある。しかし大きな理由は、私は仏教界で成功しようなんて思わなかった。インドで仏教がダメになった。そこで般若尊者の教えを受けとった達磨が中国へ行った。古い土壌には作物が出来なくなるでしょ。いい種子でも育たなくなるでしょ。
それと同じように、仏教は本質的によいものであっても、インドの古い土壌では、戒律ばかり固くなってダメになった。だから達磨は新鮮な土壌に種子をまきに行ったわけなんだ。そうして嵩山少林寺で面壁坐禅、大いに仏教を興したけれども、あの達磨の禅も、道元禅師が日本から行かれた頃は、もう土壌が古くなっとるんです。しかし如浄禅師は道元禅師に正法を授け、道元禅師は新しい日本の土壌に持って帰って、日本の文化の中に根をおろさせ、発達させたわけでね。
巨泉 つねにフレッシュな土壌を必要とするんでしょうね。
弟子丸泰仙 そうそう。ところが、それがまた日本でもダメになった。インドの仏教、中国の仏教と同じように、日本の仏教もまた、儀式宗教、形式宗教・・・・・。
巨泉 教条主義になったんですね。
弟子丸泰仙 あるいはツーリスト仏教、観光寺になっちまった。本質的なものは無くなってしまったんですよね。それならばマッサラな土地へ行こう。ヨーロッパの天地、処女地に行って開拓しよう。マッサラな土壌の中に、仏教の本当の種子をまくために、ひとつヨーロッパへ行ってやろう。これは私の大きな使命だ、という考えが、いつも胸の中にあったんです。
巨泉 しかしインドから中国へ行ったときも、中国から日本へきたときも、言葉の上での困難があったろうと思うんですけれども、それでもまだ、同じ東洋人だし、根本的な人生観とか大局観とかいうものは、比較的かよってるので、わりあいスムーズにいったじゃないかと思うんですね。
ところが、これが五万㌔も六万㌔も離れた、日本とは地球の裏側のフランスへ行って、言語も宗教観も人生観も違う人たちを伝道したというのは、大変なことでしょうね。いまヨーロッパ禅協会の会員はどのくらいですか。
弟子丸泰仙 十万人おります。フランス人が三分の二くらい、あとはイタリア、英国、スイス、ベルギー、オランダ。
痛い足を我慢して坐禅
巨泉 たった五年で十万人もお弟子ができたとは・・・・・。
僕も毎年ヨーロッパへ行って、確かにヨーロッパの人達が、精神的な拠り所を求めてることは、我々にもわかるんですこれども、それにしても大したことだと思うんです。ことにパリの裏町のルラマルチンで、食料品店の倉庫を借りて道場にしたんだそうですね。肉体的なことなんで笑われるかも知れませんが、あの足の長い西洋人が、よく坐禅が組めたもんだと思うんですよ。
弟子丸泰仙 ええ、コンクリートの上でね。畳を日本から送ってもらうのも大変だし、畳の上敷きをどこからか持ってきて、五年間も使っとるから、もう擦りきれとるんです。だから、馬小屋みたいなもんですがね、彼等はちっとも気にしない。森林の中で接心をやったときはね、トイレなんかテントでかこっただけのものだったが、ローズマリー夫人だの、舞台女優のドラードル、歌手のダリダ。
巨泉 人気のあるシャンソン歌手です。
弟子丸泰仙 ああいうのが、舞台がひけてから、パリ郊外の大乗禅寺まできてね、男はまだいいとして、女優たちまで急ごしらえのトイレで平気でね。そういうところが偉いと思うです。畳の上で、なるたけ足が痛くないようにして組むのがいい、と道元禅師は書いとるけれども、無いものはしょうがない。毛布をもってきて敷いてもいい、というんだが、もってこないんです。私が敷かないからね。
巨泉 足を痛がりませんか。
弟子丸泰仙 痛がりますよ。しかし日本人より我慢強いですな。私が動くなと言ったら絶対動かないしね、三十分坐っとって立ったら、ダーッと倒れるやつもおる。それでもやっとるです。八十六歳のばあさんも坐っとるんですよ。有名なピアニストでね。これが坐っとるうちに若々しくなってきた。や、写真ならちっよと待ってください。よそゆきの顔にしないと。
巨泉 わりあいにしゃれっ気があるんですね。(笑う)
弟子丸泰仙 だらしない格好しとる坊さんだといわれると困る。
巨泉 アゴを引いて、姿勢を正しくしないとね。でも、よく外人が坐禅をやると思いますよ。
弟子丸泰仙 むこうはヨガをやっとるのが多いからね。これは日本よりも精神的に行き詰ってる、ということですよ。日本はまだゼンよりゼニを追っとる段階だからね。(笑う)
ところが、むこうは物質文明がもうダメだ、なんとかしなくちゃいかん、という文明批判を昔からやっとった。それだから受け入れ態勢は出来とったんですよね。
日本人はヨーロッパ人には禅なんか解らんだろう、坐禅も組めないだろうと考えとるけれども、私はね、フランスのモンテーニュの「随想録」、あれの中に、人々は外を見、自分は自分の内を見る、人々は前へばっかり進むが、私は足下を見る、ということが書いてある。自己分析的にこまかく書いとる。それがフランスの教科書になってるんですね、小学校とか中学校とか。
それだから、自分を見よ、内省するということは徹底しとる。ただ惜しむらくは、実践の方法論を教えていないからね。そこへ私の禅が、坐禅という方法をもっていった。これはむこうの考える人たちにとっては、有難い極みだった。ヨガよりも坐禅は簡単ですからね。
ウシがモーオと鳴く呼吸
巨泉 ああ、そうですね。むこうで見たのはヨガっていうけれども、ベッド体操に似たようなもんでしたよ。(笑う)
弟子丸泰仙 ヨガは苦行なんです。その苦行の中から、お釈迦さまは坐禅をとられたんだ。ヨガより坐禅は楽だからだ。こういう話をするから、フランス人にはすぐわかるんです。ヨガよりも坐禅がいい、簡単で深味がある、哲学的にも大変深い、ということでね、ヨガをやってた連中が、まずどんどん入ってきた。ヨガの教師連中が、まず入ってきましたよ。
巨泉 むつかしい教義よりも、まず坐禅を組んで考えさせる。フランス人が入門してくると、まず坐らせるわけですね。
弟子丸泰仙 ええ。私はまず、坐禅は坐ることだと、教えるんです。道元禅師も「正法眼蔵」で、禅は坐禅だ、ということをハッキリ書いておられる。坐禅が済んでから問題をやります。公案をください、なんて望むものもおりますからね。
巨泉 フランス語でやるんですか。
弟子丸泰仙 まあ、それまでも海外生活をしとったから、私は英語は話せますからね。フランス語はドモナーム・アトナームですよ。日本語でいえば以心伝心。単語を並べるだけでもわかる。
巨泉 フランス人は言語帝国主義の権化みたいなもので、英語は大嫌いなのに、その英語で理解しようというのは、よほど禅に傾倒してるんでしょうね。
弟子丸泰仙 ソルボンヌ大学へいって日本語を勉強したり、英語を勉強したりね、なんとかして私と話したいと思うんだな。
巨泉 ヨーロッパ人が禅にあこがれるのは、キリスト教にないものだからですね、坐禅を組んで瞑想しろなんて。
弟子丸泰仙 そう。ヨーロッパ人は瞑想が好きでね、瞑想が哲学の最高のものだということを、よう知っとるです。ところが、私は言うんだ。ロダンの「考える人」、あれは顎に手を当てて、へんな格好をしとる。あれじゃダメだ。坐禅の姿勢が最高の瞑想の姿勢だ。それがね、やっとるうちにわかってくるんだな。
巨泉 「考える人」はいけませんか。
弟子丸泰仙 形が影響する。手も形がきまっとる。拳をふりあげた形をすれば、この野郎ッという気持ちになるしね。現代の心理学でも、手、ハンド、これの形が頭の脳髄に影響する、といっとるでしょう。坐禅のときの手の形、これは深い意味があるんです。道元禅師は非思量、これすなはち坐禅の要術なり、と書いておられる。
非思量とはヤスパースの言ったニヒトデンケンだけれども、それよりもさらに深いものです。この非思量になるのには、やっぱり形を正さないとダメ。姿勢を正せば、一時間坐ってもいい、一発でいい。私は姿勢がいい、坐るのもいいし、経行(きんひん)といって、立って歩く禅ですがね、その姿勢もいいんです。
巨泉 ぼくも弟子になってれば、椎間板ヘルニアが治ってたな。(笑う)
弟子丸泰仙 そうそう、それはね、日本の武道の姿勢です。柔道、弓道、みんなこの姿勢から出ておる。息がだいじでね、入る息より出す息のほうが長いんです。そうして出す息のときに下腹に力を入れる。これを吽修法(うんしゅうほう)といって、禅の口伝になっていて、なかなか教えない呼吸法なんですがね、出す息を長くするんだ。
牛がモーオと鳴くというが、あれは鳴いとるんしゃなくて、息をモーオと吐いとるんです。我々も空気のいいところへいくと、深呼吸をするでしょう。それも入れることばかり考えちゃいけない。出す。そのときに宇宙の精気をとるんです。すべてのものを出しちまうと、いいものが生まれるわけだ。頭の中からつまらんものを出しちまうと、いい知恵が生まれてくる。なんでも捨てる。捨てると無一物になる。そこに無尽蔵のものがある。無限のものがある。
立派な寺に飽きている
巨泉 そういうことがヨーロッパ人にはわかるんですね。ヨーロッパ人は長い間、人間の文明の限りを見てきて、さきに悟ってるような気がするんです。東洋では中国人ですね。毛沢東が中国の建設に成功したのは、共産主義のせいじゃない。毛沢東という哲学者がいたから成功した。
日本は二千年の歴史をもってるくせに、いまだに物質文明を追っかけていて、日本の最近の政治家、総理大臣には、一人として哲学者がいない。フランスなんかに比べると、だいぶ遅れてますね。アメリカにも遅れてるけれども。
弟子丸泰仙 五十年遅れています。
巨泉 ぼくは二十年くらいじゃないかと思いましたけれども、甘い考えですかね。
弟子丸泰仙 五十年ですよ。これは明治からの教育の問題なんですがね、これじゃ日本人はいかんのです。私がヨーロッパへいった理由も、そこにあるんですよ。日本はダメになる。これを救うのは禅だ。ヨーロッパへいって、純粋な禅、垢をすっかり落とした禅を流行させたら、日本人はまねるのが大好きだから、外国人が受け入れた禅だとなりゃ、必ずまねるだろう。そのほうが早く日本人を教育できると思った。
巨泉 それは卓見ですね。外国のまねをするのは早いですから。もう一つ、ぼくがわかったのは、パリにはノートルダム、サクレクール、あれだけ立派な伽藍があるところで、弟子丸さんの倉庫道場へ集まってくるというのは・・・・・。
弟子丸泰仙 インテリはカトリックの大きな伽藍、立派な寺に飽きているんですよ。むしろ、コンクリートの床で冥想するほうを好むんです。
巨泉 日本じゃ立派な金堂を建立するんだ、といって力を入れてる坊さんもいるけれども。
弟子丸泰仙 日本人はわかってないんだな。
「週間朝日」1972-8-25 連載対談87 巨泉の真言勝負 より(42~46頁) え・中川恵司