信濃奇勝録 雑食橋

信濃奇勝録 雑食橋 ①(コピー禁止)
信濃奇勝録 雑食橋 ①(コピー禁止)
信濃奇勝録 雑食橋 ②(コピー禁止)
信濃奇勝録 雑食橋 ②(コピー禁止)

信濃奇勝録 安曇郡之部

雑食橋

雑食橋(ざうしのはし)は梓川にかかりて筑摩安曇両郡の堺なり。
橋の長さ十八間、はね木四重にして梁柱なし。
南は橋場村関隘(せきしょ)ありて飛騨の間道なり。
北は嶋々村。
むかし此所に岩といふ女有り。
家貧しくして人に仕へるなり。
此地に橋を架さん事を願ひ、朝夕の食物には喰ふへき米穀をはのけおきて賣志となし、
生平(つね)にまづき物ばかりを食して、つのりし金銭にて橋を架(かけ)初(そめ)しと云傅へたり。

依て雑食の橋と号(なづ)くと云。
今は十三年を期(かぎり)として改め造る。

処之是の方言(ところことば)に橋木を水梁といふ。
此水梁三本を引架すときは橋場の方より女子の偶人(にんぎょう)をつくりて
嶋々の方へ車にて挽きわたす。
是は彼の女の渡り初めし状(かたち)を今に傅へて旧例となす事なり。
又も次に西より東へ男子の偶人(にんぎょう)を挽渡す。
此偶人を清明と名つけて烏帽子(えぼし)直垂(ひたたれ)の姿なり。
古良何としたるいはれぞと問ふに此女安部の清明の奇術有て能く人の死に垂とするを活し異人を指揮し秘符を押て宅災を鎮めし事為と聞て大に渇仰して大願も其神助にあらずんば成就覚つかなしとて其より清明を祈念せし故なりとぞ。
梓川は平日(つね)はさばかりの水にもあらされと霖雨には水かさ増る故に橋を架す所なし。

二里下りては橋有といへとも少しの水にも落るゆゑに此橋なくしては通路甚(いと)かたき地なり。

 

参考 ふたりがかけた橋

(上記、不勉強のため読み方に誤りがあるかと存じますが何卒ご御了承下さいますようお願い申し上げます。)