佐藤忠良:ブロンズメダル『爽』一枚の繪
記念メダル『爽』
日本の具象彫刻界の巨匠、佐藤忠良氏による「一枚の繪」300号記念のために用意されたブロンズ製のメダルです。
「一枚の繪」表紙のことば
絵と随筆と旅の本「一枚の繪」1996 9
創刊300号記念
特集 世界日本 風景100選
300号記念企画
読者から300号に寄せる言葉を大募集〃
200名様に佐藤忠良作記念メダル『爽』をプレゼント!
この「一枚の繪」の132頁には下記のように書かれています。
300号記念 大募集
月刊「一枚の繪」に向けるお言葉をお寄せください。
抽選で200名様 佐藤忠良作記念メダルをプレゼント
応募要項
●月刊「一枚の繪」についてのエッセイ。
●400字以内にまとめ、下記までご郵送ください。(「300号記念企画」係)
●締切りは8月30日。消印有効です。
●当選者は月刊誌11月号の誌上で発表します。
以上
「一枚の繪」
創立者は北海道夕張出身の竹田厳道。
竹田厳道は北海道の新聞「北海タイムス」社長であったが辞任し、昭和43年(1968)美術関係の「一枚の繪」社を起こした。
美術絵画を一般家庭に普及させることを考え、絵画1枚5万円(毎月5千円の10ヶ月払い)で販売しようとカタログ雑誌「一枚の繪」を出版した。
この本、300号記念「一枚の繪」には「戦後『絵』の変遷」として瀬木慎一〈美術評論家〉と竹田厳道〈一枚の繪(株)会長〉との対談が載っている。
☆「一枚の繪」の理念が一般の人にもよく判るので、失礼を顧みずその一部分を紹介する。(80頁)
『一枚の繪』の流通革命
(瀬木)
竹田さんの『一枚の繪』は、一種の大衆主義的革命を実践されたわけですが、今までの画商たち、インサイダーには絶対できないことをおやりになった。これまで、絵なんていうものはただカレンダーで見る程度だった人たちに実物を持たせることをなさって、大変な流通革命をされたわけですね。
(竹田)
あのころは笑われましたからね。そんなことはやれないだろうと、銀行も金を貸さなかった。だけど、これは高きから低きへ水が流れる方向なんです。普通の人が絵を見たい、買いたいというのは。それに対してそれまでこの世界は門戸を閉ざしていたでしょう。
(瀬木)
信念があっておやりになったわけでしょうけれど。
(竹田)
一方で画家も、ご存知のように、失礼な言い方をすると大半が貧乏絵描きだったわけですけど、銀座の大きな画商は何にもしないわけです。絵を持っていったて金なんか払わない。払ってくれても盆暮れで、それも幾らなのかも定かではない。そのくせ、一握りの十人か二十人たちには、お礼を持っていく。それも大体、お礼で、画料じゃないんですから。その点でも、うちははっきりと画料を決めて、毎月きちんとお支払いすることにしたわけですから、そういう意味でも大革命でしたね。それで僕は、このためには、本もつくっておかないとなかなか徹底しないから、『一枚の繪』を出したんですけどね。
もう再来年で創業三十年です。これをやったのが僕が五十のときですから、全力投球しました。
(後述略)