二重虹 北原白秋著 岡本一平画

二重虹 北原白秋著 岡本一平画 1
二重虹 北原白秋著 岡本一平画 1
二重虹 北原白秋著 岡本一平画 2
二重虹 北原白秋著 岡本一平画 2

繪入童謡 第七集 「二重虹」

北原白秋 著 
岡本一平 画
大正十五年三月二十四日 発行
發行所 合資會社 アルス

 

(この絵本には本来、右の岡本一平画の表紙カバーがあるのだが、私所有の本には無い。)

 

二重虹 北原白秋「序詩」
二重虹 北原白秋「序詩」
二重虹 北原白秋 目次
二重虹 北原白秋 目次
二重虹  北原白秋「二重虹」1
二重虹 北原白秋「二重虹」1
二重虹  北原白秋「二重虹」2
二重虹 北原白秋「二重虹」2

北原白秋「二重虹」
「巻末(くわんまつ)に」

 この「二重虹」の中の童謡は大正十一年の十一月の書いたもので、翌年の二月の雑誌「女性」の載つたのが主になつて居ります。
その時、私のところの坊やの隆太郎はまだ生れて八ヶ月にしかなつてゐませんでした。
今はもう少しで滿四歳のなります。
これらの童謡はたいがい赤ん坊の隆太郎へ話しかけるかたちの謡になつて居ります。
ですが赤ん坊にわかる筈はありませんでした。
私はひとりで樂しんで歌ひ、赤ん坊のお母さんにも、歌はせ、揺籠をゆすり、乳母車を押し、寝床でまた歌つてきかせました。
もうぼつぼつ坊やもわかつて來てゐます。
これからも、成長するにつれて、ききわけてもくれるでせうし、この父さんのむかしの生活をもなつかしんでくれるでせう。
この「二重虹」の童謡ができてから、まる三年のあまりも經ちました。坊やはづんづん大きくなりました。
もう三輪車も子供用自動車も自由に乘りまはしてゐます。
詩のやうなものもひとりで歌ひます。
これからどんなに育ってくれるか樂しみです。
隆太郎はこの夏妹の篁子(くわうこ)をお母さんから生んでもらひました。
篁子がちやうどこの「二重虹」の童謡を父さんが書いた頃の坊やの月齢(つき)になつてをります。
おもしろいではありませんか。
 二重虹と云へば、この小田原の山や海にはよく二重虹が立ちます。
こんなにまた朝や夕がたに虹の立つところはあまり無いでせうと思ひます。
それは明るくて綺麗です。隆太郎はこの美しい二重虹を見て育つて來ました。
篁子はまだわかりません。
 朝や夕がたばかりでなく、滿月の晩にも西の空に白い白い霧のやうな大きい虹が立つことがあります。
その虹の中と外とには、青い空に、ちらちらヽヽと數へきれぬほどのお星さまが光ます。それが屋根裏からも二階の露䑓(バルコン)からもよく見えます。
何だかあまりにありがたくて、掌(て)が合はさりさうです。
これは月虹(げつこう)と云ふのださうです。
竹藪の中の私の家(うち)もしあはせです。
私たちも坊やたちも。
家は地震で壊れて傾いてゐますが、月夜の蝶々(てふてふ)も飛んで來ます。
 月夜の蝶々は葛飾でもよく飛んでゐました。
 さうです。葛飾のお話を少々爲(し)て置きませう。
この「二重虹」の中には、小田原の童謡もありますが、葛飾のがずつと多いのですから。葛飾といふところは、東京から三里ばかり東へ出た田舎で、江戸川といふ川を挾んで、東葛飾と南葛飾とにわかれてゐます。
江戸川のながれは廣くて、水はたぷたぷとして、土手には櫻の並木がつづいてゐます。
その花どきがまた何とも云へません。
その川向うから月があがります。鴻の䑓といふ丘があつて、てとてとてえと喇叭(らつぱ)が鳴りました。
私の住んでゐたのは、南葛飾の方でした。
櫻土手から下りると、隠元や藤豆や南瓜や唐黍の畑があり、またもう一つの土手を上つて下りると、枝垂柳があつて、小さな古池のある店家がありました。
雑貨品を賣つてゐました。
その離家(はなれ)に私は住んでゐました。
私は私のその家を紫煙草舎(しえんさうしや)と名づけました。
外庭には井戸があり、夏は紫のあやめがその井戸のながしの竹棚のそばに咲きました。
前の通りにも庭にも刈りたての草が乾してあり、乾草の小舎(こや)もありました。
古池のすぐ裏は廣い田圃で、その田圃の向うに、小さな白い不二の山が、冬になるとよく見えました。
 私は村の子供たちが捕へていぢめてゐた鴉(からす)の子をもらひました。
それからかはいい牛酪(バタ)いろの子犬ももらひました。
この子犬は哥路(コロ)でした。
私は鴉の子や子犬といつも親しくしてゐました。
鴉の子と子犬も親しくしてゐました。
それでも鴉の子は大きくなると、とうとう青い青いお空へ飛んで行つてしまひました。
どんなに私も哥路もさびしがつたでせう。
 秋から冬になると、庭の柳や柿の木に雀がいつでも鈴なりに群(たか)つてゐました。まるで雀のお宿と云つた風でした。田圃の稲の上には千羽も萬羽も雀がたかります。
それがほういほういと追はれると、私のところへ逃げて來るのでした。
柿の木には赤い實が一つ二つと減つていくのです。
おしまひには枯枝ばかりになりましたが、雀はまだやつて來ました。
ぼうぼうと羽音を立てて庭から飛び立つたりしました。
私はその頃貧しい暮しをしてゐました。いただくお米のない日がありました。
無いながらも雀にもわけて、私は歌ばかり作つてゐました。
 百姓の子供たちもよく遊びに來ました。
三ちやんといふ子は、「お前いくつだ」と云うと、「おつぴらきだい」と云つて、片掌を開いて見せました。
私は子供たちの掌(てのいら)に花を描(か)いてやつたり、その十(とう)の指に首の赤い螢などを描いてやつたりしました。
 月の夜(よ)に蝶々(てふてふ)の飛ぶのもひらひらして白う見えましたが、雨の晩に庭の百日紅(ひやくじつかう)の葉ばかりの枝にとまりに來る小鳥もかはいいものでした。
 私は大正の五年の夏から翌年の夏まで、その葛飾の山谷(さんや)の紫煙草舎に居りました。
その頃のことを、この中のいろいろの童謡に歌つてあります。
 私はさうした生活を、ただ面白がつて歌つてゐるわけではありません。
私の坊やに父さんとしてのさうした生活の幾分でも後で知つてもらふやうに、それについて、また親しみも持ち考へてもくれるやうにとも思つて書いて見たのでした。
皆さんにも牘んで歌つてもいただければうれしいと思ひます。
 それから、この「二重虹」の挿畫は岡本一平さんが描いてくださいました。
鴉でも子犬でも子供でもみんな動いてゐます。
正面向きの私の顔などはよく似ていゐるさうです。
をかしいですか。
童謡と畫(ゑ)とよく見くらべて樂しんでください。
それで、この「二重虹」は私の童謡集であるとともに、一平さんの畫集でもあります。
これが私には非常に愉快です。一平さんにも厚く御禮を申して置きます。
 皆さん、鴉はかあかあ、犬はわんわんでしたね。どうか一緒に遊んでやつてください。
 美しい二重虹がお空には立ちますよ。

 大正十五年二月
  小田原木兎の家にて
          白秋

北原白秋「二重虹」子犬と子鴉
北原白秋「二重虹」子犬と子鴉