「ふくれまんじゅう」ジャータカえほん
出版 財団法人 鈴木学術財団
え 和歌山静子
ぶん 寺村輝夫
この絵本の裏表紙には次のように書いてあります。
悪者にもいろいろありますがこっけいな味をもつものは欲張りやけちんぼうでしょう。
この「ふくれまんじゅう」(南伝大蔵経第七八イッリーサ長者本生)もそのおはなしです。おまんじゅうを食べたいけれどもだれにもやりたくない、だから人目につかないように御殿のてっぺんの部屋でこっそりおまんじゅうを作る金持の姿には、当人にはわからないおかしさが感じられます。
でもそのおかしさも、欲張りやけちんぼうが、ものをひとりじめにしようとか、他人をおしつけて自分がいい目をみようとかいう意図をもつものだと考えると、ただおかしい、こっけいだ、ではすまなくなってきます。
こらしめのために、焼いても焼いてもおまんじゅうは大きくふくらみ、くっつきあって、それを乞食に与えなければならない辛さ。
金持は自分で自分の欲にひきずりまわされることになりました。
我欲の中で目の前が見えなくなった金持は、その次には、焼いても大きくならなくなったのに気がつかず、ふくれまんじゅうを夢見て限り無くおまんじゅうを焼きつづけます。
村の人たちがそれを貰うというのはなかなか皮肉な結末ではありませんか。
我欲を離れること、執著を捨てることはそんなにも難かしく、それゆえ昔からいろいろとそれを物語にしてきたのだと考えられます。