ジャータカ絵本:ふたつのばしゃ

ジャータカ絵本:ふたつのばしゃ
ジャータカ絵本:ふたつのばしゃ
ふたつのばしゃ ジャータカえほん 1-2
ふたつのばしゃ ジャータカえほん 1-2
ふたつのばしゃ ジャータカえほん 3-4
ふたつのばしゃ ジャータカえほん 3-4

ふたつのばしゃ ジャータカえほん 5-6
ふたつのばしゃ ジャータカえほん 5-6
ふたつのばしゃ ジャータカえほん 7-8
ふたつのばしゃ ジャータカえほん 7-8

ふたつのばしゃ ジャータカえほん 9-10
ふたつのばしゃ ジャータカえほん 9-10
ふたつのばしゃ ジャータカえほん 11-12
ふたつのばしゃ ジャータカえほん 11-12

ふたつのばしゃ ジャータカえほん 13-14
ふたつのばしゃ ジャータカえほん 13-14
ふたつのばしゃ ジャータカえほん 15-16
ふたつのばしゃ ジャータカえほん 15-16

 

「ふたつのばしゃ」ジャータカえほん

 え 川上四郎
 ぶん 高橋良和

このジャータカ絵本「ふたつのばしゃ」の裏表紙には次のように書かれている。

「ふたつのばしゃ」と「おとしたまめ」について
法句経(ダンマ・パダ)の第223偈に「和をもって怒りに克ち、善をもって不善に克つ」とありますが、「ふたつのばしゃ」(南伝大蔵経第151王訓本生話)には、この偈文が含まれていて、二人の王子の競い合いは、それによって判決を与えられています。
イソップの「橋の上の二匹の山羊」によく似ていますが、山羊が我執に身を滅ぼしたのに比べれば、より聡明な智慧がこの物語を支えているといえましょう。
あやまちをおかした王子が、深く争うことをしないで、卒直に自分の非を認めた態度は勝敗を越えて大切なことだと思います。

「おとしたまめ」(同上第176一握豌豆本生話)は、両手のたくさんの豆を捨ててまで、落とした一粒に気をとられ、遂には全部を見失うという文字通りの猿知恵を諷したものです。
物事の軽重がわからないということは、私たちの生活に時に大きな破綻を惹き起こすもととなりますが、小のために大を捨てるのは、それがただ豆にとどまらないからこそ、私たちとしては虚心に耳を傾けるに足る物語であるといえるでしょう。