「女寶」「叙」
教育家はいふ教育は百年の事業なりと誠に然り、教育を受るものもまた學ぶことの容易(たかす)からざるを知る、されば教ふるも教へらるヽみなその功を急がずして、唯撓(たゆ)むなからんことを勉むるの外なし、教るもの諄々として倦(う)まず、學ぶもの孜々(しし)として怠ることなくば、終(つひ)には成功を期すべきなり、しかれども成功晩(おそ)きものは倦(う)み易く、結果を見ること遠きものは飽き易きを常とす、これその成蹟の目前に現れざるが爲にして、學習に際し奇異の心目を娯(たのし)ましむるものなきが故なり、宜なる哉、教育に關する書の繙(ひもとき)て奇説なく讀で異聞なく、彼の稗史小説を讀むが如きの快樂なき也、然りと雖もよく讀で倦さればその結果や愉快を生涯に有(たも)つこと啻(ただ)に稗史小説の一時をよろこばしむるが如き比(たぐひ)にあらざるのみならず遠く德を子孫に傳ふるの益あらんのみ
明治二十四歳極月中浣 岡本 竺 識
この「女寶」の「叙」には「岡本 竺」とある。
この「岡本竺」も岡本晋太郎の別称である思われる。
更に「訂正 増補」とあるので、これ以前に同様の書籍を出版し、それを訂正増補したのがこの「女寶」である。
又、「岡本可亭 編」、「編輯者 岡本竹二郎」とも書かれているので、岡本一平の父「岡本晋太郎」は色々と名前を使い分けていたか、時に応じて名前を換えていたとも考えらる。
この「訂正 増補 女寶」は明治二十四年十二月二十五日、金櫻堂から発行されている。
又、この「訂正 増補 女寶」は前載の「普通書牘」より前に出版された書籍で、「岡本竹二郎」の住所は「日本橋區數寄屋町十三番地」となっている。
女寶 目録
●女子の一代
●育児法
●衣服裁縫獨案内
●毛糸編物獨案内
●女用文
●女禮式
●音曲
●生花水揚養祕傳
明治十六年初春 文阿彌宗彦識
●茶の湯獨案内
●實地經驗製造獨案内(一名 工藝百般 製法新書)
蘆田束雄校閲 藤野富之助編纂
●列女傳
明治二十年葉月 竹操女史しるす
東洋閨範烈女傳(一名 女子寶鑑)
竹操女史校閲 谷口老鶯編輯