漱石先生と岡本氏 S K 生

探訪画趣 一平の肖像 和田英作
探訪画趣 一平の肖像 和田英作

漱石先生と岡本氏 S K 生

 

岡本氏が最初に認められたのは夏目漱石先生だと思ふ。
その頃夏目先生と云へば文壇は勿論、社會的にも太陽の如く耀いてゐたので、氏が認めるといふことは非常なことであつた。
岡本氏が東京朝日新聞社に入社したのは大正元年の暮で、翌年の秋頃、朝日新聞社の鎌田氏が漱石先生の宅に伺ふと先生は岡本氏を激賞されて、
『鋭くて風刺的だが苦々しいところが無い。そして残酷さがない。』
といつて賞讃されてゐた。
その言葉を鎌田氏を通して耳にした岡本氏の喜びは並一通りではなかつたらう。
岡本氏はその言葉を金科玉條として益々良き漫畫を描くことに勵んだものと見える。
夏目先生がその頃の老人、青年、學生、學者、知識階級の婦女子から尊敬の的となつてゐただけに、呼び掛けられた岡本氏の喜びは想像に餘あることであつた。
その言葉が奇縁となつて、岡本氏は漱石先生のところへ出入りするやうになつた。
先生は誇張しては賞めない代り、注目すると熱心に見て呉れる。
一寸賞めてすぐ忘れるといふことがない。
それだけに絶えず何かにつけて岡本氏を見てくれた。
その後間もなく先生は、鎌田氏を通して岡本氏に本を出すことを勸められた。
當時岡本氏は不覇奔放で自分の畫集を出すなどといふことは夢にも思はなかつたらう。
始めて氣が付いて畫室の中を捜し廻つた光景は、夏目先生の序文によく現はれてゐる。
その時の畫集は岡本氏の處女出版「探訪畫趣」で漱石先生自ら序文を書いて下さつた。
その序文は是非會員諸君に紹介して置きたいものだ。
「私は朝日新聞に出るあなたの描いた漫畫に多大な興味を有つてゐる一人であります。
(以下、序文省略)」
漱石先生と岡本氏との交遊は漱石先生の死に至る迄續いてゐた。
岡本氏は年始には必ず先生を訪問したし、先生はそれを喜ばれてゐた。
時分頃になるときつと御膳を出して饗なしてくれた。
二人とも食物の好みが似てゐて、話がよく合つたらしい。
どちらかと云へば先生は岡本氏を好きだつたらしく、岡本氏は又先生を慕はしく思つてゐた。
後年春陽會に出品した「漱石三態」()は先生を懐しむ餘り描いたもので、又漱石先生の漫畫は恐らく岡本氏の似顔繪中の傑作の一つだらう。

 

 [一平全集月報・第五號より]

 

(S K 生とは杉村楚人冠(廣太郎)SugimuraKotaroか?)

 

)「漱石三態」は「漱石八態」の間違いか?