夏目漱石と土井晩翠 ②

雨の降る日は天気が悪い 土井晩翠 ①
雨の降る日は天気が悪い 土井晩翠 ①
雨の降る日は天気は悪い 土井晩翠 ②
雨の降る日は天気は悪い 土井晩翠 ②
漱石さんのロンドンにおけるエピソード ──夏目夫人にまゐらす──
漱石さんのロンドンにおけるエピソード ──夏目夫人にまゐらす──

土井晩翠と夏目漱石 ②

 

「雨の降る日は天気が悪い」土井晩翠

 

(同本59~69頁より)

 

漱石さんのロンドンにおけるエピソード
──夏目夫人にまゐらす──

 

夏目夫人、――「改造」の正月號を讀んで私が此一文を書かずには居れぬ理由は自然に明かになると思ひます、どうぞ終まで虚心坦懐に御讀み下さい。
 漱石さんが東京帝國大學英文學の卒業生で私共の先輩であつたことは曰ふ迄もありません。

(中略)
其後漱石さんは松江と熊本とに前後赴任されて次に英屋留學生として出發される其送別會(一ツ橋の學士會)に私も列しました。其跡を逐うたといふ譯でも何でも無いのですが、明治三十四年六月同郷の志賀潔さん(中略)が北里研究所からの在歐研究者として出發されるので、父にせがんで共に常陸丸(中略)の船客として印度洋通過で、英國に着いたのは八月中旬、ヴイクトリヤ停車場に漱石さんのお出迎を忝うし、その下宿――クラパム、コンモン附近のとある素人下宿に落ちつきました、純粋の赤ケツトが何かにつけ指導を被つたのは曰ふ迄もなく、今の追懐にも感謝せずには居れません。

(中略)
 九月上旬夏目さんをもとの下宿に訪問すると(其訪問は全く偶然であつたか、誰からか病氣と聞いての上であつたか、忘却)驚くべき御樣子――猛烈の神經衰弱、――大體に於て「改造」正月號第二十九ぺージにあなたが御述べになつてゐる通りの次第でした。
 但し同ぺージに『英文學の研究で留學を命ぜられて彼方へ行つてゐた某氏が落合つて樣子を見ると、ただ事でない……三日ばかり其方が側についてゐて下すつたさうですが、見るほど益怪しい、そこへ文部省とかへ夏目がロンドンで發狂したといふ電報を打たれたといふことです』とありますが、此中の誤は正さねばなりません。私は文部省派遣の留學生では無く前述の如く、父にせがんでの全く私費生でした、其以前に一年有餘二高の教授となつては居ましたが、當時は依願免官のあとで、文部省とは何等の關係のない一私人一浮浪人でありました。何等の關係のない一私人が文部省に對して『貴省の留學生夏目が發狂した……』と打電したなら其こそ本氣の沙汰ではありますまい。文部省にせよ、何省にせよ、省の官命に因て派遣された者の行動に關し消息に關して督學官に非ず監督官にあらず一私人が本省に打電するといふべきことはあり得べきことでせうか、常識は之に對して否と答へることは明々白々と信じます。
 始めの二日は日通ひでお見舞しましたが下宿のリイル婆さん(老ミスの姉妹二人)が『心配だから一寸でも傍について見てくれ』と曰ひ、漱石さんも『君が居てくれると嬉しい』と曰はれるので、九月九日(重陽だから暗記し易い)朝まづ領事館に行つて住居變更を届け(翌十日公使館にも同樣)五月十八日迄クラパムのチエーズ八十一に滞在しました、大した御役にも立たず、ろくなお世話も出來なかつたのですが、ともかく十日ばかり同宿したのであります

(中略)
 芳賀先生は『……どうも困つたな、夏目もろくに酒も飲まず、あまり眞面目に勉強するから鬱屈して、さうなつたんだらう、もう留學も満期になる頃だが、それを早めて歸朝させたい、歸朝となると多少氣がはれるだらう、文部省の當局に話さうか……』――正確には記憶しませんが以上の意味の言葉があつたやうです、

(中略)
 『夏目と同じ英文學の研究者の所から、夏目が失脚すればその地位(!)が自然自分のところにまはつて來るといふので(!)たいした症状もないのにこんな奸策(!)をめぐらしたのだ(!)彼奴は(!)怪しからん奴だ(!)などゝ憤懣の口調を洩してゐたことがありました』『改造』正月号三十ぺージの一段は私にとり意外千万で、今日迄全く思ひもかけなかつた次第であります。
 所謂奸策とは『文部省とかへ打電云々』を指してるのはお言葉の前後から正當に推量されますが、驚き入つた次第です。一私人が文部省に打電云々は前述の如く私自身が發狂せぬ限はあり得ません。もし文部省へでは無い、一官人か一私人かに打電したとなら果して誰に對してですか。甚だケチなことを申すやうでお恥しい次第ですが、懐中乏しい當時の一私費生は(眼前フランス行を決定して居つて)當時ロンドンから日本へ『一文部省留學生が精神病にかゝつた』と發電する餘裕は御座いませんでした。

 九月十八日夏目さんの宿を辭した私は十月十一日全く英國を去り・・・・・

(中略)
 あなたが誤つて漱石さんのお言葉を傳へたとは到底思ひもよらぬ事ですが、其に因れば漱石さんは二重の誤解をなさいました。
 (一)私が『夏目發狂』云々の打電をしたことのないのに打電したとの誤解。
 (二)誰が發電したにせよ、せぬにせよ、發電があつたとすれば前後の事情より察しても分る通り其發電者は好意上よりなりしを惡意よりとの誤解。
 外ならぬあなたのお言葉ですから、到底之を否定する事は出來ませんが、實際夏目漱石先生がああいふ言葉を發せられ、ああいふ考を抱かれたとは、どうしても信じたくないのであります。
(後述略)

 


尚、本文はもっと長い文章で書かれているが省略する。

全文を読みたい方はこちらをどうぞ。青空文庫 漱石さんのロンドンにおけるエピソード


更に、同本(70~79頁)には松岡譲の「倫敦の漱石先生について──土井晩翠氏に呈す──」と題し、中央公論の四月號に載せた辯明の一文が掲載されているが、これも省略する。

 


「雨の降る日は天気が悪い」
 昭和九年九月二十三日
 著作者 土井晩翠
 刊行所 大雄閣
(装幀・表紙 扉:岡本一平・見返:木下義謙)