野球と塁球 ①
野球はBaseballベースボールである。
これを直訳すると、Baseベースは「塁」であり、ballボールは「球」であるから、Baseballベースボールは「塁球」である。
日本では何故、Baseballベースボールを「塁球」ではなく「野球」としたのであろうか?
「塁球」でも良かった思うのだが「野球」とした経緯(いきさつ)は明確ではない。
ここに功力靖雄著「明治野球史」がある。
この中でBaseballを「野球」と最初に名付けたのは正岡子規ではないとしている。
正岡子規は随筆『松蘿玉液』の戸外遊戲の項では総てベースボールとなっている。
さらに正岡子規はベースボールの和歌も沢山あり、例えば「九つの人九つの場を占めてベースボールの始まらんとす」などと詠んでいる。
この功力靖雄著「明治野球史」には「野球用語の邦訳」として、次のように書かれている。
『野球用語の邦訳』
さて「ベースボール」を「野球」と翻訳した最初の人物は誰であろうか。これについては長い間の調査にもかかわらず遂に確答が得られず、五来欣造であろうといわれていたが、橋戸信が一高野球部創立時代の名二塁手中馬庚に逢うに及んで、この疑問は解決した。すなわち中馬庚こそ「ベースボール」を「野球」と訳した最初の人物であった。
彼は初め「ベースボール」を「底球」つぎに「塁球」などと訳したが明治27年の夏「第一高等学校野球部史」を執筆するに際し「テニスはコートで行うから庭球、ベースボールはフィールドで行うから野球」とし、「野球部史」に初めての文字を使用した。
これ以前までは「ベースボール」と外国語で呼んでいたのであつった。
また投手、捕手、一塁、二塁、三塁、左翼、右翼、安全球、三振、死球などの野球用語も中馬庚の努力で出来たのである。
{新体育講座53『明治野球史』功力靖雄著(逍遥書院)78頁より}
しかし、直ちに総ての人々がBaseballベースボールを「野球」と呼んだのではない。
Baseballベースボールを「野球」とするにはこの後数年を要する。
ここにBaseballベースボールを「塁球」として普及させようとした人がいる。
その人は白井規矩郎である。
白井規矩郎は明治中後期、少年少女の体育育成のため、東北地方より関西地方を巡回して各地学校及び教育会等の希望に応じ遊戲の実地講習をしていた。
明治三十三年三月に出版された『實驗詳説 遊戲唱歌大成』を次に紹介する。