忠別ダム

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忠別ダム

 

大雪旭岳源水(2016年11月17日付Blog記述)に行く途中に巨大なダムがある。

名称は「忠別ダム」と云う。

このダムの管理は「国土交通省 北海道開発局 旭川開発建設部 旭川河川事務所 忠別ダム管理支所」が行っている。

この「忠別ダム管理支所」の所在地は東川町ノカナンにある。

「忠別ダム」は平成19年(2007)3月に完成した。

 

この「忠別ダム」によって移転させられ東川町に住んでいる人もいる。

東川寺近辺にも数軒、家を建て移住して来て暮らしている。

 

忠別ダム建設 経緯

 

昭和42年(1967)12月、忠別川上流に農業灌漑用の農業ダムを建設しようと、東和土地改良区、周辺土地改良区などが協議し「忠別ダム建設促進期成会」が結成された。

 

昭和44年1969~47年1972、国営土地改良事業忠別区として、北海道開発局と旭川開発建設部がダムサイドの地質等の計画、発電計画、灌漑施設計画などの調査を実施した。

 

この間、昭和45年(1970)4月1日、農業情勢の著しい変化により、水道用水、電源開発を含めた多目的ダムへと変更され、予備調査の予算が認められた。

 

昭和48年1月9日(1973)、期成会は「忠別川水系綜合開発期成会」と組織変更された。

 

昭和48年12月5日(1973)、ダム建設事業による不利益の排除と補償問題に対処するため、忠別ダム対策協議会が結成された。(補償交渉は長期化した。)

 

昭和49年1974~昭和51年1976、多目的ダムとして予備調査が行われた。

 

昭和52年(1977)、忠別川の洪水調節・不特定利水・灌漑・上水道・水力発電を目的とする特定多目的ダムの建設計画となる。

 

昭和59年(1984)、忠別ダム建設の着工が決定された。

 

昭和61年(1986)4月24日、忠別ダム対策協議会は三町長(東川町・美瑛町・東神楽町)立会の上、「損失補償基準と少数残存者補償は同時に解決する旨の覚書」を締結した。

 

昭和62年3月24日、三町長(東川町・美瑛町・東神楽町)立会人として、旭川開発建設部と忠別ダム対策協議会が「忠別ダム建設事業に伴う一般補償に関する協定書」に調印する調印式が行われた。

 

 水没世帯数 ────── 33世帯

 水没宅地 ─────── 約7ヘクタール

 水没畑 ──────── 約104ヘクタール

 水没山林 ─────── 約26ヘクタール

 水没原野、その他 ─── 約50ヘクタール

 

平成19年(2007)3月11日、「忠別ダム」は完成した。

 

昭和42年(1967)に「忠別ダム建設促進期成会」が結成されてより、紆余曲折があったもののダム完成まで実に40年、「特定多目的ダム建設計画」となってから30年の歳月を要したのである。

 

(上記参考:郷土史ふるさと東川Ⅲ希望編)