やまなしもぎ:こどものとも・佐藤忠良 画
「やまなしもぎ:こどものとも」
「母の友」絵本42 日本民話
平野 直 案・佐藤忠良 画
1959年9月1日 発行所:福音館書店
「おはなしの原型」として
「民話──むかしばなしは、遠い遠いむかし、何百年、あるいは何千年ものはるかなむかしに、民衆のなかの名もない語りじょうずな天才たちがかたりだし、それを子から孫へ、人から人へ、民族から民族へと代代語りつたえてきたものです。
そのあいだには、すぐれた語り手たちにより、もっとおもしろく、もっとたのしくと、いろいろの工夫や趣向がくわえられ、語り口も練りあげられて、ときには意識的に、ときにはしらずしらずのうちにかえられ、ととのえられてきた、すぐれた民衆の芸術です。
ですから、民話のなかには、わたくしたちの祖先のへてきた経験や、祖先のもっていた創造力や感受性などが、結晶のように美しいカタチでのこされています。
ときには、民衆の願望が、いろいろの登場人物の姿をかりてあらわれていることもあります。
しかしそうしたいろいろの要素のなかでも、とくに民話がわたくしたちの興味をつよくひきつけるのは、そのすぐれた空想性と文学性です。
よく伝承されてきた民話のなかには、すぐれた文学をもっているあらゆる要素があります。
いわば民話は、文学の原型なのです。
この物語は、日本の民話のなかでは、第一級のもです。
話の筋もなかなかおもしろく、劇的なもりあがりも十分です。
また人間の心の奥深くひそんでいる、心理的なうごきさええがかれています。
この民話はおさない子どもたちから、小学校一・二年の子どもたちの興味をひくに、十分のおもしろさがありますし、ぜひとも、その年ごろの子ども達にあたえたいものです。」
と、この絵本の裏表紙には書いてある。
この「やまなしもぎ」の話は、「三人の兄弟の物語で、病気のお母さんに『山梨・やまなし』を食べさせてあげようと、長男が山へ入ってゆくと、『ばあさま(山姥)』に逢い道を教えられるが、『沼の主』に呑まれてしまう。次に次男も出かけたが帰ってこないので、末の三男が山に入り『沼の主』に襲われることなく、長男、次男を助け出し、たくさんの『やまなし』を籠にいれて帰ってくる。その『やまなし』を食べたお母さんは元気になって皆楽しく暮らした。」と云うお話。