片耳の大鹿:銀の笛と金の毛皮・佐藤忠良 挿絵

片耳の大鹿:銀の笛と金の毛皮・佐藤忠良挿絵
片耳の大鹿:銀の笛と金の毛皮・佐藤忠良挿絵

 

片耳の大鹿:銀の笛と金の毛皮・佐藤忠良 挿絵

 

片耳の大鹿 椋 鳩十著 雨の日文庫・第3集 11

「片耳の大鹿」 椋 鳩十

「名なし島の子ら」 久保 喬

 絵・佐藤忠良

 昭和40年(1965)11月30日 麥書房:発行

 

銀の笛と金の毛皮 豊島与志雄著 雨の日文庫・第3集 14

「銀の笛と金の毛皮」

「山の別荘の少年」

 豊島与志雄 絵・佐藤忠良

 昭和40年(1965)11月30日 麥書房:発行

 

この二冊共、絵本ではなく児童文学集である。

その児童文学で有名な椋 鳩十(むく はとじゅう)、久保 喬(くぼ たかし)、豊島与志雄(とよしま よしお)の童話に佐藤忠良が挿絵を描いている。

 

彫刻家:佐藤忠良は、1912年(明治45年)7月4日、宮城県黒川郡落合村で父・忠四郎、母・幸の長男として生まれる。1918年(大正7年)12月、父死亡のため、1918年(大正8年)、母の実家の移住先である北海道夕張に移り住む。1930年(昭和5年)、札幌第二中学校(旧制)を卒業。1934年(昭和9年)4月、東京美術学校彫刻科に入学。1940年(昭和15年)4月、吉田照と結婚。1941年(昭和16年)、長男達郎が誕生する。1942年(昭和17年)、吉田一穂著の「ウシヲカフムラ」の絵本の絵を描く。以後「ウミヘ」など四冊の絵を描く。1943年(昭和18年)長女オリエが誕生する。1944年(昭和19年)7月、招集を受け入隊し、旧満州に渡り、ソ連、朝鮮国境近くの東寧に配属される。1945年(昭和20年)、終戦を知らず約一ヶ月間逃避行ののちソ連軍に投降。以後三年間シベリア・イルクーツク州タイシェトの収容所に抑留される。1948年(昭和23年)6月、舞鶴港に復員する。1949年(昭和24年)、渋谷区代々木上原に新居を構え、妻子、母と一緒に暮らす。1951年(昭和26年)、この頃、農村漁村文化協会の発行する雑誌の表紙絵や挿絵、プロレタリア文学の装幀画などを描く。1952年(昭和27年)9月、第十六回新制作展に「群馬の人」を出品する。この作品は同年開館の国立近代美術館に彫刻の蔵品番号一番として収蔵される。1959年(昭和34年)、「やまなしもぎ」の絵本を描き、以後「いちごつみ」(1961年)、「おおきなかぶ」(1962年)、「ゆきむすめ」(1963年)など福音館より出版された本を元に、本業の彫刻の傍ら、絵本や挿絵を描いてゆく。

 (「生誕100年 彫刻家佐藤忠良」略年譜:参考)