佐藤忠良・スイス帽の未菜
佐藤忠良の「スイス帽の未菜」は旭川市の「三浦綾子記念文学館」に展示されている。
しかし、プレートには間違って「スイス帽の未来」と書かれている。
これは佐藤忠良の孫の「未菜ちゃん」の像で「スイス帽の未菜」が正しい。
「スイス帽の未菜」 MINA with Swiss Hat On 1972 (MINA Wearing Swiss Hat)ブロンズ 15.0×12.0×15.0㎝
この像は作家の三浦綾子が生前に所蔵していたもの。
佐藤忠良には「小児科」といわれる時代、小さい子供を彫像の対象にした時代があって、朝倉摂の一人娘の「亜古」ちゃんをモデルにしていた時の作品が多かった。
その後、長男の「達郎」君、長女の「オリエ」さん、さらには孫の「竜平」、「未菜」ちゃんの子供の時に、それぞれを対象にして造った作品がかなりある。
佐藤忠良はその著「遠近法の精神史」で次のように語っている。
「子どもの像はずいぶんつくりましたが、最初の朝倉さんの娘が大きくなってつくれなくなると、今度は自分の孫ができたものだから、これを赤ん坊のときからつぎつぎに交替交替でつくるんです。これでも祖父さんは気を使いながらやるんですが、たまに兄貴のをさきにつくると、女の子っておもしろいですね、『お兄ちゃんのばっかり』っていうんです。だから、祖父さんはいつも並行してやるように気を使って、ミナ一年生、リュウ三年生、次はリュウ中一・・・・・というふうに題名もむずかしくなり、学年をつけてつくっていくのです。これは (参考:この時の説明画像はミナ一年生1979) ミナ小一のころだと思います。この年ごろになると、お兄ちゃんばっかりといいはじめるんです。」
(「遠近法の精神史-人間の眼は空間をどうとらえてきたか-」33頁より)
実は、この孫の女の子「未菜」彫像の目は穴が空いている。
佐藤忠良は抑留されていたシベリアから帰って来て、二年目に長男の「たつろう」(1950年)を作ったとき、その目の処理に困ってしまって、とうとう穴を開けてしまった、と書いている。
つぶらな清らかな子供の目は無理に作ってしまうとおかしくなってしまうと考えた佐藤忠良は、この「スイス帽の未菜」の目も「たつろう」と同じ意味で穴にしたのだろうと思う。