旅の夜風(愛染かつら)・西條八十

西條八十作詞・愛染かつら主題歌・旅の夜風
西條八十作詞・愛染かつら主題歌・旅の夜風
西條八十作詞・旅の夜風 (愛染かつら・主題歌)
西條八十作詞・旅の夜風 (愛染かつら・主題歌)

旅の夜風(愛染かつら)・西條八十

 

「旅の夜風」という曲を知っているかと訊ねると多くの人は知らないという。

では「愛染かつら」の曲は知っているかと聞くと、知っていると答える人が多い。 

「愛染かつら」は昭和13年に大ヒットした松竹映画で、その「愛染かつら」の映画の主題歌が「旅の夜風」である。

西條八十が作詞し、萬城目正が作曲した。

歌は霧島昇とミス・コロムビア(松原操)とが歌った。

 

昭和13年頃の映画なら、私は知らないはずなのに、何故か「花も嵐も踏み越えて・・・」という一番の歌詞は知っている。

回りの大人達が唄っているのを聴いたのか、その後、何度かリメイクされた映画を見て知ったのか、放送されたテレビドラマで知ったのかはわたらない。

 

この「愛染かつら」の主題歌「旅の夜風」の誕生秘話を西條八十は「あの夢この唄-唄の自叙傳より-」の中で書いている。

 

 二三、「愛染かつら」

 

昭和十三年わたしが輕井澤に滞在してゐると、夕ぐれコ(コロムビア)社のディレクター山内義富君が、突然東京から訪ねて來た。手に一冊の謄寫版刷のシナリオを持ってゐた。松竹で今度映畫化される川口松太郎氏原昨「愛染かつら」だつた。

そもそも山口君は、川口氏の言葉として、この「愛染かつら」が書かれた動機が、わたしの「母の愛」といふ謡からヒントを得たものであつて、どうしてもこれの主題歌は西條氏に頼んでもらひたいとあつたと傳へ、松竹でも會社でも吹込みを非常に急いでゐるので、唄はぜひ明朝までにレコード兩面書いてもらひたいとのことだつた。わたしが記憶を辿ると、川口氏のヒントとなつたといふわたしの唄は次のごときものであつた。

 

 晴れて逢へない母子(おやこ)ゆゑ

 眞(しん)の夜中に逢ひにくる、

 眞の夜中に出る月の

 やうに寂く逢ひにくる。

 

 晴れて呼ばれぬ我子(わがこ)ゆゑ

 眞の夜(よ)ふけにこの涙、

 おなじ想ひか、さらさらと

 往(い)つてまた來(く)る小夜時雨(さよしぐれ)。

 

その晩、わたしは山口君を萬平ホテルへ送つたが、無聊を慰めるべく晩餐を沓掛にちかい御狩場焼きと呼ぶ成吉思汗(ジンギスカン)料理へ招待した。ところが興に乗じて飲み過ぎたものだから、その晩はたうたう何も出來ず、酔ひつぶれて寝てしまつた。

翌日、早朝に起きて、わたしはまづ壹本を一讀した。山内君は朝八時の汽車で歸るといふのだから、否が應でも、二時間ばかりの間に、二つの唄をまとめねばならなかつた。それに脚本が非常に感傷的であるのに、時代は日華事變の進展に伴ひ、個人的感傷を盛れる作品は許可せずといふ内務省の検閲方針であるから、これも程よく回避せねばならぬ。

わたしは、朝霧にふかく包まれた二階の書斎で、いろいろに思案をめぐらした。と、ふと想いついた事は佐藤惣之助の行きかたであつた。

その頃詩人佐藤惣之助は、わたしに次いで、大衆歌に筆を染めてゐた。當時のかれは、まだどこの會社へも専屬せずに、頼まれるまま、コロムビア、ボリドール、帝蓄到るところの作詞をしてゐた。いつも着流しで下駄をぶらさげて、コロムビア文藝部へはいつて來た。達筆でこだはりのない彼の唄は、特に古賀政男とのコンビでは大いに當りを見せてゐた。(中略)

いま、「愛染かつら」の歌詞を考へたとき、わたしは、ひとつ惣之助の手口で行つてみようと想ひついた。さうして、直ぐ筆を運んでいつた。

 

 旅の夜風

 

 花も嵐も踏み越えて

  行くが男の生きる途(みち)、

  泣いてくれるな、ほろほろ鳥よ

  月の比叡(ひえい)を獨り行く。

 

 優しかの君、ただ獨り、

  發たせまつりし旅の空、

  可愛い子供は女の生命(いのち)

  何故に淋しい子守唄。

 

 加茂の河原に秋長(た)けて

  肌に夜風が沁みわたる、

  男柳がなに泣くものか、

  風に揺れるは影ばかり。

 

 愛の山河(やまかわ)雲(くも)幾重(いくへ)

  心ごころを隔つとも、

  待てば來る來る愛染(あいぜん)かつら

  やがて芽をふく春が來る

 

讀んでみればわかる。

この唄の第一聯全體はまづ愛人と別れて京都へ行つた若い醫者の情懐を叙してまとまつてゐるとしても、「ほろほろ鳥」といふ言葉だ。これがナンセンスだ。こんな鳥は京都にはもちろんゐない。この唄がひろく唱はれ出したとき、わたしはある未知のファンから送られた封書をひらいて驚いた。その中には、「先生が『愛染かつら』で詠はれたほろほろ鳥といふのは、いつたいどんな鳥かと想つていろいろ訊ねたのですが、やつと動物園で發見しました。ここにわたしが撮影したその寫眞を同封いたします。記念に御保存下さい」といふ意味の手紙がはいつてゐて、その「ほろほろ鳥」の寫眞が出て來た。見ると、それはとても大きな七面鳥に似た異形な鳥で、「南米産ほろほろ鳥」と傍書してあつた。

 

ところで、わたしが「ほろほろ鳥」と書いたのは、ここへうらがなしい鳴音(なくね)の鳥を點出したかつたからで、わたしはいろいろ考へたあげく、比叡山にほど遠からぬ高野山を聯想し、次いでそこに因みのある石童丸と刈萱道心の邂逅を想つた、琵琶湖の「石童丸」の中にある「ほろほろと鳴く山鳥の聲聞けば、父かとぞおもふ、母かとぞおもふ」といふ古歌が胸に浮んだので、それを「ほろほろ鳥」といふ名に具體化したのであつた。

 

参考:この「ほろほろと鳴く山鳥の聲」は「行基」の歌で「玉葉和歌集」には「山鳥のほろほろと鳴く声きけばちちかとぞ思ふははかとぞ思ふ」とある。

(中略)

 

(第三聯)この歌詞は吹込みの際、霧島昇が間違つて唱つたものだから、いよいよ珍妙なものになつてしまつた。

それは、わたしの原作では、ここの三行目は、――

「肌に夜風が沁みるとも」とあつたのを、霧島がうつかり、

「肌に夜風が沁みわたる」と、はつきり區切つて唱つてしまつたのであつた。

あとで、氣がついたディレクターから、「吹込み直させませうか?」と言つて來たが、テスト盤を聴いてみると、霧島の「沁みわたる」と唱つたはうが、言葉にハリがあつて聴きいいので、わたしはそのままにしておいた。

そにかく、こんな具合で、片面の唄は出來上つた。次にわたしは大急ぎで、殘る片面の、ミス・コロムビア唱ふ「悲しき子守唄」を書き上げた。

さつそく淨書して机上にのせた途端、「つい寝坊しちまひまして」といいながら、山内君が大あわてで飛込んできた。時刻は輕井澤發車までにキチキチであつた。

こんな風にして、早急に出來た唄だつたが、いざ吹込んでこれが巨匠野村皓將監督、上原謙、田中絹代主演映畫に挿入されると、たいへんな人氣で賣れた、賣れた、プレッスが間に合はないほど賣れた。會社の話では、レコード總賣上數約百萬に達したとのことであつた。(中略)

 

ところで、この「愛染かつら」に附随して起つた想ひ出深い事件は、コロムビアの歌手霧島昇と、ミス・コロムビアこと松原操との結婚事件であつた。

 

(「西條八十「あの夢この歌-唄の自叙傳より-」271~279頁より)