東川神社祭

東川神社祭-1
東川神社祭-1
東川神社祭-2
東川神社祭-2

東川神社祭

 

東川神社のお祭りは、8月24日宵宮、25日本祭り、26日後祭りで、村の鎮守の社(やしろ)の小さな祭りである。

 

村の鎮守の神様の

 今日はめでたい御祭日

ドンドンヒャララ ドンヒャララ

 ドンドンヒャララ ドンヒャララ

朝から聞こえる笛太鼓

 

年も豊年満作で

 村は総出の大祭

ドンドンヒャララ ドンヒャララ

 ドンドンヒャララ ドンヒャララ

夜までにぎわう宮の森

 

治まる御代に神様の

 めぐみ仰ぐや村祭

ドンドンヒャララ ドンヒャララ

 ドンドンヒャララ ドンヒャララ

聞いても心が勇み立つ

 

この「村祭・むらまつり」は尋常小学唱歌に採用された、作詞作曲者不明の童謡である。

 

東川神社祭については、明治四十三年七月三十日に発行された、藤崎常治郎著「東川村発達史」に「村社」として次のように書かれている。

 

村社(神社)

『本村には未だ村社として其の筋の認可を得たるものなしと雖ども、村民が一年一回の祭日として、天下泰平、五穀豊穣、家内安全を祭るは毎年八月二十五六の両日にして、社は村内西四号基線沿いの南に鎮座せらる。

今此の村社を祭りたる起源を索ぬるに、本村は既に述べたる如く屯田移住にあらずして単純なる植民移住者のみなれば、内地府県の別なるは他村の比にあらず。故に開村最初の頃は何れも忘郷の念禁じ難きに驅られ、其の休日の如きは各戸別々にして、甲は流汗農事に励むに、乙は故郷の祭日なりとし神酒を捧げて鼓腹の快楽を為すが如き、常に一致和合の団楽を採ることなかりしなり。当時三木定次郎の老翁大に之れを慨嘆し、凡そ一村の平和を保つは常に歓楽哀情を共にするにあり。然るに本村民は徒に忘郷の念に迷い、現住地の交誼を厚うせず。之れ鄕に入つて鄕に従いの道を知らざるものなり。須からく此の時に於いて祭日を定め、一村の礼を厚ふするに如かずと、時恰も西原安太郎氏外二三の賛同するものありしより、村内西八号に社日即ち地神を祭りて一部落の祭日とせり。

爾来是れに做うて村内各所に地神を祭るもの数ヶ所に及びたる結果、更に一大歩を進め、現在地即ち西四号に村社として、天照皇太神を安置し、八月二十五六日を以て祭日とせらる。因みに此の両日は東川村全部貸付許可の当日なる故、後世永く忘れざらんことを期する為め特に此の日を以て祭日と定めたるものなると云う。』

 

要するに、東川村は屯田兵移住ではなく、それぞれ本州各地からの植民移住者なので、その故郷の地神祭をもって各々勝手に祭りとし、仕事を休み酒を飲んでいた。

それでは一村の平和が保たれないので、西四号南(現在の場所)に新たに村社を造り、東川村全部貸付許可の当日(八月二十五、二十六日)を村の祭りの祭日としたと云うことである。

 

私が小さい頃、東川神社祭には参拝者が大勢いたし、出店も多く並んで子供らも皆楽しく遊んでいた。

今は御神輿だけは賑やかだが、子供達が少ないため閑散とした村の鎮守の祭りである。

 

と思って昨日、お祭りの「少年補導員・防犯パトロール」に出ると、以前よりは少しは賑やかだった。

 

東川神社祭-3
東川神社祭-3