佐藤忠良著「つぶれた帽子」

佐藤忠良著「つぶれた帽子」日本経済新聞社:発行
佐藤忠良著「つぶれた帽子」日本経済新聞社:発行

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佐藤忠良著「つぶれた帽子」

 

「佐藤忠良自身が七十六歳までの半生自伝を書いたのは、昭和63年(1988)6年1日から同年6月30日まで日本経済新聞社の「私の履歴書」として連載され、それに加筆して出版したのが佐藤忠良著「つぶれた帽子」(1988年12月15日、日本経済新聞社:発行)である。」と先日このBlogで書いた。

 

佐藤忠良著「つぶれた帽子」は彼の自伝である。

この「つぶれた帽子」の執筆は七十六歳の時、その後、九十八歳まで二十年以上長生きされた。

 

その冒頭に「あこがれ」と題して次のようにある。

「あこがれ」

「私の生家は宮城県であった。北海道で小学校に入るまで六年間をここで過ごしただけだったのだが、先祖代々宮城産なので、県では私を宮城出身として扱ってくれている。そのせいもあって、県で何かのことがあると、よく声のかかることがある。いつだったか、県知事の招集のパネル・ディスカッションに呼ばれ『宮城に文化を燃え上がらせよう』というテーマの集まりに出ることになった。・・・(中略)・・・最後に私の番がきたとき、本当に突然のようにラブレターの話を始めてしまった。『出した数ほどもらったことはないが、ポストまで投函しに行き、それが彼女の元に運ばれ、返事がくるかどうかを待つまでの時間はまことに長かった。さて、返事がきて、彼女の字が下手だと嫌になってみたり、“今日は曇です”とあれば、何か相手の心の裏まで考えてしまうようなせつなさ、今、若者たちは電話で長々と直接語り合えようが、私の少年の頃のあの待ちの時間は、言葉を耳にすることも、手で触れることもできない、長い長い憧れであった。今は印刷も電波も発達して、絵や彫刻も、作品集やテレビの美術番組を見ただけで、見てしまったような、解ってしまったような思いがし、本物に触れるために足を運ばないでもすんだような気がして、この憧れからだんだん遠ざかりつつあるのではないだろうか。文化とは、このせつないような憧れかもしれない。』こんな話をして終わったけれども、あのときの咄嗟の語りは、今も私の中で、ただの苦しまぎれが口から出てしまったのでもなかったような気がしている。二十二歳ではじめて粘土を手にしてから五十余年、私はひたすら土を手にしながら来てしまった。・・・(中略)・・・こんな原始的な作業を続けていられるのも、体に覚えさせ、体で表現するしかないのである。」

 

つぶれた帽子 (目次)

 あこがれ

 北海道

  生まれ 夕張 小学校 札幌 岩瀬さん スキー 忙しがり屋 めばえ会 絵画修業

 彫刻への道

  上京 画塾通い 転身 美校時代 集団アトリエ 展覧会 留置場

 新制作協会

  旗揚げ 仲間 結婚 戦時下

 シベリア

  満州へ 非常ラッパ 突撃 生死の境目 逃避行 シベリア抑留 シベリア-描く シベリア-削る

 戦後

  復員 四年ぶりの粘土 船山馨 初のアトリエ モデル 洋裁学校 ジャガイモ顔 スケッチ旅行 造形大学教授 初の洋行

  弟のこと 子供のこと 「小児科」「帽子」 外国の同業者 パリで個展 ニューヨーク 減らず口 彫刻公害 初心

 年譜

  

この佐藤忠良著「つぶれた帽子」はサブタイトルを付し、再構成され中央公論社から中公文庫「つぶれた帽子-佐藤忠良自伝」として2011年8月25日に発行された。本の内容、掲載写真はそのままだが、年譜は九十八歳まで書いてあり、世田谷美術館長の酒井忠康が「解説」を追加して書いてある。

 

「つぶれた帽子-佐藤忠良自伝」 中公文庫
「つぶれた帽子-佐藤忠良自伝」 中公文庫