「彫刻家 佐藤忠良」 市瀬見:著

「彫刻家 佐藤忠良」 市瀬見:著
「彫刻家 佐藤忠良」 市瀬見:著

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「彫刻家 佐藤忠良」 市瀬見:著

 

「彫刻家 佐藤忠良」市瀬見:著 昭和60年(1985)5月 25 日 一光社:出版 LIFE WORK SERIES

 

市瀬見が書いた「彫刻家 佐藤忠良」の「あとがき」には次のように書かれている。

 

「あとがき」

「初めて佐藤忠良氏にお会いしたのは、すでに三十五年も昔のことである。船山馨、伊福部昭両氏を加えた座談会で、私は室の隅で三人の話を要領筆記をしていた。佐藤氏は抑留生活の樣子を現在と同じく早口で饒舌っていたことを記憶している。抑留中、絵を描くのに絵の具がなく、ヨードチンキやマーキューロを使ったという本文にあるところはその時の聞き覚えである。私は勤めの関係で東京と札幌を転勤で数回往復したが、その間佐藤氏の動静が妙に気に掛かった。つまり新聞や雑誌などに現れる佐藤忠良氏のエッセイや随筆、デッサンが素早く目に止まる。ひと口にいってファンの一人である。

佐藤忠良氏は優れた美術家に名文家が多いように、氏の随筆や自分の少年の頃を書いた小文などにも実に格調の高いものがある。なかでも美術に関したエッセイを改めて何度も読み、本を書くに当たって佐藤忠良氏の人間の芯に少しでも迫ろうとした。しかし、その真の芯に迫ることは〝デッサン〟という頁にもあるように、内面に至るには私の力ではまだ表面的な描写に終わったようである。けれども彫刻家佐藤忠良氏の実像は、その輪郭を印画的にペンでなぞり得たとは思っている。それは制作の手を休めて、何度も私の質問に応じて頂いたその佐藤忠良氏のおかげである。

この本の中心をなす佐藤忠良氏の半生記は、種々様々の資料を基にしたが、なかでも北海道新聞社『私の歴史=佐藤忠良、聞き手・谷地智子記者』の聞き書きの一文は大変参考になった。・・・・・・」 (一九八五・五・三・記)

 

【市瀬 見】(いちのせ けん)

1918年生まれ。北海道新聞社東京支社、札幌本社にて主として学芸記者、その後論説委員を経て、新聞三社連合(西日本、中日、東京、北海道)の事務局長、この間、美術記者会々員、美術評論その他著述業。(出版当時)