佐藤忠良・紫陽花

佐藤忠良・紫陽花 (風間個人所蔵)
佐藤忠良・紫陽花 (風間個人所蔵)

Blog摘楊花一覧(佐藤忠良)

 

佐藤忠良・紫陽花

 

この絵は佐藤忠良の紫陽花を描いたもので素描に水彩してある。

1974 CHURYO (昭和49年)と裏には「紫陽花 佐藤忠良」のサインがある。

 

かれは彫刻でも絵画でも対象物を正確にとらえる為には基本となるデッサンが大事だと、自分自身でもそう信じ、又、人にもそう教えている。

 

佐藤忠良は自著「つぶれた帽子」の「美校時代」の中で次にように述べている。

「・・・・・朝倉文夫先生(朝倉摂さんのお父さん)の言葉だけは、肝に銘じて忘れない。『一日土をいじらざれば一日の退歩』。毎日体に覚えさせなければいけない。空理空論に走りがちな若い学生を戒める言葉でもあったろう。

私もモリジアーニが一日百枚のデッサンをしたという話を聞いて、本当かどうか判らないが、自分でもやってみようと思い立ち、ザラ紙しか使えない経済状態だったのに、ともかく始めてみたことがある。一日百枚というと、目にするものを片端から描いていかなくてはならず、大変な仕事である。一週間くらいしか続かなかったが、百枚が五十枚になり、二十枚、十枚、五枚と、ジリ貧になって消えていくときの情けない気分だけは、今も覚えている。・・・・・」  (「つぶれた帽子」40頁より)

 

佐藤忠良・紫陽花・サイン
佐藤忠良・紫陽花・サイン

CHURYOは己れのデッサン力を磨くため、常に努力をおしまなかった。

 

さらに「つぶれた帽子」の「外国の同業者」には次のようにある。

 

「東京・銀座で初めての大きな個展を開いたのは昭和四十八年、六十一歳のときであった。会場は松屋で彫刻七十点、デッサン二十点を展示し、近くの現代彫刻センターにも風景デッサンなど五十点を並べ、具象の彫刻展では数の上で例のない大規模な展覧会だといわれた。その直後アカプルコに私の支倉常長像を置くことになってメキシコに出かけた・・・・・ニューヨーク (中略)・・・・・その足でヨーロッパを回って何人かの彫刻家に会うという忙しい旅をすることになった。・・・・・(中略) ロンドンから一時間ほどのところにある広大なヘンリー・ムアの敷地には七つほどのアトリエが点在していて、若い人が数人で原型の修理などの仕事をしていた。部屋にはロダンの作品やドガのデッサンなどがあり、ムアは私の作品集の中の上体を折った女性のデッサンを見て『ドガの絵よりいい』とボソッと言った。お世辞など言いそうもない真摯なムアの口から出た言葉であり、比較されたのがドガだったから、私はびっくりすると同時に、心底うれしくなった。・・・・・」 (「つぶれた帽子」149~151頁より)

 「つぶれた帽子」佐藤忠良:著 1988年12月15日 日本経済新聞社:発行 

 

CHURYOのデッサンが優れていることを物語る話である。