東川寺両大本山団体参拝旅行(団参)
東川寺としては久しぶりの大本山参拝旅行を計画しました。
曹洞宗には二つの大本山があります。
その一つは福井県の大本山永平寺ともう一つは横浜鶴見の大本山總持寺です。
二つの大本山があるのなら両方の大本山に参拝しようというので団参(団体参拝)旅行を計画しました。
その大本山参拝旅行の標題は「曹洞宗両大本山永平寺・總持寺参拝旅行~東京スカイツリーと片山津温泉と古都金沢への旅」という長い名前です。
旅行期間は平成27年10月16日(金曜日)から10月19日(月曜日)の3泊4日です。
出発2日前に参加予定者一人が脚立から落ち怪我をして欠席したので、参加者は20名と住職とJTB添乗員の22名となりました。
10月7日
東川寺広間で午後1時30分より両本山参拝旅行の説明会を開催。
JTB添乗員紹介。
10月16日(金曜日)
旭川空港
いよいよ出発当日。集合時間は午前9時10分、集合場所は旭川空港ターミナル1階のJALカウンター前。
全員集合。航空券を各自に渡し、荷物(スーツケース等)を預け、2階出発ロビーへ。
午前10時10分に旭川空港を飛び立ち羽田空港へ。
羽田空港
12時に羽田空港に着き、預けた荷物を受け取り、12時30分に観光バスに乗り、横浜鶴見に向かう。バスの中で昼食(弁当)を戴く。
大本山總持寺
大本山總持寺に到着する。
小雨の中、連絡しておいた、大遠忌に随喜している崇賢寺副住職が山門まで迎え出てくれる。有り難い。
すぐ唐門(勅使門)前で記念写真を撮影。
大本山總持寺では二祖峨山禅師 650回大遠忌が営まれ、拝観の制限があったが、小雨の中、大祖堂前で焼香し、拙僧のカメラで記念写真をもう一枚パチリ。
大本山總持寺の売店で「三松煎餅」が販売されています。
この「三松煎餅」は大本山總持寺御用達「諸江屋」製造のものです。
諸江屋は金沢市内にあって、大本山永平寺御用達でもあり、曹洞宗両大本山御用達です。
9月18日に金沢兼六園を見学後、このお店に立寄って落雁などを買うことになります。
金毘羅坂の道標
東川寺の前身とも云える 目黒の金毘羅坂の高幢寺 跡に向かう。
駐停車禁止の広い通りで、雨で道路脇にある高幢寺跡の道標(金毘羅坂の道標)を探すことがなかなか出来なかったが、バスの運転手さんの機転により、大鳥神社の横にある、生け垣の中に隠れてしまった道標をバスの中からチラッと見ることが出来た。
その後、東京スカイツリーへ向かったが到着が30分以上遅れてしまった。
(下の写真は以前、風間真悟が撮ったもの。)
東川寺団体で一室を貸し切り、夕食。
この部屋の窓からライトアップされた浅草寺、東京スカイツリーなどが見える。
東京の夜景も食事も良かった。
10月17日(土曜日)
浅草寺
朝8時、ホテルロビー集合。雨もあがり「花やしき通り」を歩いて、浅草寺に参拝。
浅草寺(せんそうじ)は元は(昭和24年迄)天台宗に属していましたが、昭和25年天台宗から独立して「聖観音宗」を名乗る宗派となりました。
浅草寺の中央上の扁額には「施無畏・せむい」と書かれています。
施無畏とは「畏れ無きを施す」と読みます。
観音様は別名「施無畏者」と呼ばれ、畏れ無きを施す菩薩なのです。
我々衆生の畏れ(恐れ・怖れ)を取り除いてくれる仏様なのです。
観音経(妙法蓮華経観世音菩薩普門品)には「・・・是観世音菩薩摩訶薩、於怖畏急難之中、能施無畏、是故此娑婆世界、皆号之為施無畏者・・・」と書かれています。
浅草寺の「鳩ポッポ」の歌碑。(注1)
ザル被り犬
「ザル被り犬」は浅草の仲見世の老舗「助六」にも売られていますが、この写真の「ザル被り犬」は江戸玩具千代紙「いせ辰」のものです。
なぜ「犬」が「ザル」を被っているのかと云うと、ザルは「竹」で竹冠の下に犬を書くと「笑」となり「笑う門には福来たる」を洒落た縁起物との説があります。
しかし江戸玩具の「ザル被り犬」は本来は犬を子供に見立て、小さい子供のお守りだったようです。子供が疳の虫が起きないようにザルで虫を取る「虫封じ」のおまじないであったのと、ザルは風を通すので風邪予防と、ザルで水を掬っても水が通ってしまうので「鼻ずまり」が治るようにとの願いを込めて、寝ている子供の上に吊したのです。
午前10時、ホテルを出発し、羽田空港へ。
羽田空港
午前11時、羽田空港到着。空港内の食堂で中華料理の昼食。あまり脂っこくなくアッサリとしたお年寄り向きの中華料理でした。
午後1時、羽田空港を飛び立ち、小松空港へ。
小松空港
午後2時、小松空港到着。石川県は晴天、有り難い。
観光バスに乗り換え、一路、福井県の大本山永平寺へ向かう。
大本山永平寺
永平寺門前の土産物店「田中屋」に大きな荷物を預け、貴重品、輪袈裟、洗面道具などを持ち、永平寺へ上山。
永平寺境内に入り、永平寺唐門(勅使門)の前で全員揃っての記念写真。
午後4時、永平寺総受所。
住職は総受所で「献香料」などを納め、明日の法堂供養、監院寮添茶などの打合せ。
参籠の檀信徒は係りの僧侶に従い、永平寺での説明を受け、男女別の控え室へ。
永平寺参籠の日程
永平寺・Ⅰ日目
16:00 到着(上山)
17:30 藥石(夕食)
18:50 坐禅・法話・映画
21:00 開枕(就寝・消灯)
10月18日(日曜日)
永平寺・2日目
3:20 起床、洗面
3:50 光明藏での法話
5:00 法堂供養、朝課(朝のおつとめ) 後、諸堂拝観
7:00 小食(朝食) 後、下山(門外へ出る)
(冬期間は2日目の日程が30分遅くなる。)
朝のお勤め
朝、といってもまだ夜が明けていない。
皆、輪袈裟を掛け整列し、薄暗い中、永平寺の長い階段を上ってゆく。
(薄暗くて写真が良く撮れないため、後程、下の写真を撮影 )
「光明蔵」で後堂老師の法話を聞いた後、「法堂(本堂)」に行き、静坐。
法堂献灯で緊張しながら焼香に出る。
東川寺参拝団の供養法要で、既に申し込んであった、それぞれの所念の精霊の名が読み込まれ、懇ろに焼香合掌する。
気温が下がって少し肌寒い。
菩提座にて感謝状授与式
法堂供養の後「菩提座」にて、東川寺住職は大本山永平寺より感謝状を受けるので、檀信徒も同席する。
その後、住職は監院寮へ御挨拶に行く(監院寮添茶)。
檀信徒は諸堂を拝観しながら下りてくる。
朝食
永平寺では朝夕の食事を戴くのに作法がある。
箸袋の裏に書かれた「食前の偈」、「食後の偈」を唱る。
食べ終わった食器を重ねる作法。
夕食の時に使った箸袋に入った箸を朝食の時にも使う。
この箸と箸袋は持ち帰り戴くことが出来る。(注2)
朝食を終え、永平寺御請処(売店)で「お守り・線香・蝋燭・数珠」などを買う。
下の写真
「立春大吉・鎮防火燭・火乃用心」
このお札の「立春大吉」は右側、「鎮防火燭」は左側に貼ります。
「大般若祈祷札」」「お守り(輪島塗)」「蝋燭」「線香」
永平寺の永平寺御請処(売店)と総受所の間では、「瓦志納」を参拝者の方々にお願いしています。
「瓦志納」
『この地永平寺は右写真のように大変雪の多い処です。
その為毎年多くの屋根瓦が破損し取り替えなければなりません。
そこで、ご参拝者の方々にも是非ご参拝記念として、またご先祖様のご供養に瓦志納をお願いしております。(後略)』
上記の様に書かれています。
「瓦志納」を一千円以上すると記念品(腕輪数珠、修証義経本、禅の友など)を戴くことが出来ます。
又、そこで「大本山永平寺・吉祥せんべい・傘松煎餅」を買うことが出来ます。
永平寺山門・鐘楼堂
晴天。永平寺通用門より外に出て、山門と鐘楼堂を拝観する。
永平寺寂光苑
歩いて永平寺寂光苑に行き、皆でお賽銭を上げ、様々な願いを込めて梵鐘を打ち、合掌一拝する。
朝日が眩しい。
田中屋
永平寺門前のお土産屋の「田中屋」に寄り、預けてあった個々の荷物を取り、永平寺のお土産を沢山買う。
金沢市
平成27年3月14日に北陸新幹線が金沢まで開通したので、金沢は大賑わい。
観光客は以前よりも大勢訪れています。
北陸新幹線開業PRマスコットキャラクター「ひゃくまんさん」はあちこちで大活躍しています。
この兼六園での記念写真には住職は写っていません。
皆で住職を探したけれど、どこにも見当たらないので住職抜きで写真を撮りました。
実は住職は昼食の後、お腹が痛くなりトイレに駆け込んでいたのでした。
金沢兼六園のイメージを焼き菓子にしたパティシエ辻口博啓氏の「YUKIZURI」
「YUKIZURI」とは「道ですれ違う行きずり」のことではなく、冬、木々の枝が雪の重さで折れないように縄で枝を吊り上げ保護する「雪吊り」のことです。
兼六園の放射線状の雪吊りは美しく有名です。兼六園では、この雪吊り作業は11月1日から始まるため、我々が行ったときはまだ雪吊りはしていなかった。
諸江屋は嘉永二年(1849)創業の老舗。
大本山永平寺御用達、大本山總持寺御用達とあり曹洞宗両本山御用達のお店。
落雁
諸江屋で買い物をすると「落雁」と書かれた袋に入れてくれる。
この「落雁」の字は大本山總持寺独住十七世の渡邊玄宗禅師、八十九歳の時の書。
渡邊玄宗禅師は金沢大乗寺の住職をされ、永平寺副監院、後堂、總持寺西堂を経て、昭和十九年に總持寺貫首となり、円鑑不昧禅師を勅賜された。 昭和三十二年に總持寺を退院し、能登の總持寺祖院に隠棲する。昭和三十八年、九十五歳で遷化した。
方丈
諸江屋の生落雁「方丈」は住職の大好物です。
諸江屋で代々伝えられてきた門外不出の名果で百年ぶりに復活させたそうです。
「方丈」とは元来禅宗の住職の居住する部屋を指す言葉です。
一休禅師が節分の豆で作ったとも伝えられているそうです。
この生落雁「方丈」は素朴な味ですが、食べると大豆の風味が口の中に広がります。
一風呂浴びて、夕食と楽しいカラオケ宴会。
夜は花火のプレゼント。
片山津温泉の湖畔の宿「森本」は大本山永平寺指定のホテルであり、永平寺歴代禅師の慰労の宿でもある。
それ故、館内の至る所に永平寺の様々な禅師の書が掲げられている。
夕食会場の床の間には永平寺七十六世秦慧玉禅師の「聴松」の掛け軸が掛けてあった。
エレベーターの横には永平寺七十八世宮崎奕保禅師の書「麻三斤」。
片山津温泉・湖畔の宿「森本」でも沢山のお土産物が販売されていますが、そのほんの一部を写真に収めました。
10月19日(月曜日)
朝風呂を浴びる人もあり、ゆっくりと朝食を戴く。午前10時に小松空港へ向かう。晴天。
小松空港
10:30、小松空港着。
小松空港二階ロビーに歌舞伎「勧進帳」で有名な義経、弁慶、富樫の人形が飾られている。この舞台の場「安宅の関」は小松空港の近くにあるのだが、今では訪れる人も少ない。
11:35、小松空港発。
途中、機内より富士山が見えた。
羽田空港
12:40、羽田空港着。空港内で昼食(そら弁)。14:15、羽田空港発。
旭川行き飛行機の窓から雪に覆われた旭岳が見える。旭川空港着陸間近か。
旭川空港
15:50、旭川空港着。
解散。
お疲れ様でした。でも楽しかった。
11月16日(月曜日)
東川寺にて正午・12時より慰労会を開催しました。
(注1)
浅草寺の「鳩ポッポ」の歌碑。
この鳩ポッポの歌は我々が良く知る「ぽっぽっぽ、鳩ぽっぽ」の歌とは違います。
「ぽっぽっぽ、鳩ぽっぽ、豆がほしいか、そらやるぞ。みんなでなかよく、食べに来い。」の曲名は「鳩」です。
鳩ポッポの歌碑
作詩:東くめ (作曲:瀧廉太郎)
はとポッポ はとポッポ
ポッポポッポと とんでこい
小寺のやねから 下りてこい
豆をやるから 皆たべよ
喰べてもすぐに かえらずに
ポッポポッポと 鳴いて遊べ
この詩は日本中乃多くの人々に親しまれている日本の代表的な童謡の一つです。
東くめ女史が明治三十四年に観音さまの境内に於て鳩とたわむれている子供らの愛らしい姿をそのまゝ歌によまれたものであります。
歌碑を建つるにあたりまして朝倉文夫先生から鳩並に題字を寄せられました事は作曲者瀧廉太郎先生と同郷旧知の深いゆかりに依る洵にうるわしい御協賛でありました。
鳩は平和の象徴です。
そのためにもこの碑は永久に保存いたしたいもので阿ります。
昭和三十七年十一月三日 浅草寺 恭順識
(注2)
五観の偈(食前の偈)
一には功の多少を計り、彼の来所を量る。
(ひとつにはこうのたしようをはかり、かのらいしよをはかる。)
二には己が徳行の、全缺を(と)忖って供に応ず。
(ふたつにはおのれがとくぎょうの、ぜんけつとはかってくにおうず。)
三には心を防ぎ過を離るることは、貪等を宗とす。
(みつにはしんをふせぎとがをはなるることは、とんとうをしゆうとす。)
四には将に良薬を事とするは、形枯を療ぜんがためなり。
(よつにはまさにりょうやくをこととするは、ぎようこをりようぜんがためなり。)
五には成道のための故に、いま此の食を受く。
(いつつにはじょうどうのためのゆえに、いまこのじきをうく。)
(いただきます)
一、この食事がどうしてできたかを考え、食事が調うまでの多くの人々の働きに感謝をいたします。
二、自分の行いが、この食を頂くに価するものであるかどうかを深く考えます。
三、心を正しく保ち、間違った行いを避けるために、貪瞋痴など三つの過ちをおかさないことを誓います。
四、食とは良い薬なのであり、身体を養うと共に、健康を得るために頂くのです。
五、今この食事をいただくのは、己の道を成し遂げるためです。
食後の偈(普回向)
願はくは此の功徳を以て、普く一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜんことを。
(ねがわくはこのくどくをもつて、あまねくいっさいにおよぼし、われらとしゅじようと、みなともにぶつどうをじようぜんことを。)
(ごちそうさま)
ただ願うことは、この功徳を、広く一切の仏・菩薩・今は亡き人の諸精霊に手向け、私たち人間をはじめ生きとし生けるものすべて、皆と一緒に仏の道を成就しますように祈ります。
金沢銘菓
古都金沢には沢山の有名なお菓子があります。
前田藩主がお茶を奨励したため、その受菓子として菓子文化が発達したものと思われます。その中でも最も有名なのが「長生殿」でしょうか。
最近の金沢には伝統菓子にこだわらず色々なお菓子が店頭に並んでいます。
その一つに色々な素材の味を生かした金沢彩匠の「金澤せんべい」があります。
その他にも美味しいお菓子が金沢には数え切れないほど沢山あります。