二世 凰洲喚山大和尚


当山二世 凰洲喚山大和尚

 

明治十三年九月十三日 示寂

 

宇治興聖寺二十九世無隠退吾和尚の嗣子にして、山城國洞谷寺、河内國長福寺、山城國講田寺、和泉國地蔵寺等を歴住し、徳望深き人にして、地蔵寺は首先住職、講田寺は遷化の地なり。
開基達宗玄道和尚の本師たり、依って當寺二世に勧請したるものなり。


(参考)

環溪密雲禅師は、嘉永3年(1850年)3月15日 34歳 河内國茨田郡岸和田村、長福寺に首先住職となり、嘉永4年(1851年)35歳 長福寺において初会結制を修行しました。

さらに慶応3年(1867年)7月 51歳(山城國)城州(宇治)興聖寺三十世住職となっています。